「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(203)」 北の産業革命「炭鉄港」(北海道)
2021年12月19日(日) 配信
既に雪の季節を迎えた11月下旬、久々に北海道の小樽と空知地域を訪ねた。2019年5月に日本遺産に認定された「炭鉄港」がテーマである。
日本遺産「本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命「炭鉄港」~」は、誠に壮大なタイトルである。炭鉄港とは、北海道近代化の骨格となった石炭、鉄道と鉄鋼、港の略である。物語は、幕末薩摩の島津斉彬公(薩摩藩11代藩主1809―58年)から始まる。斉彬は、アヘン戦争以来、欧米列強による植民地化の危機のもと洋式造船、反射炉・溶鉱炉、ガラス、紡績など、海防のための集成館事業を開始。また、北の守りの要でもある北海道開拓構想を示し、家老らに北海道調査を命じる。
その北海道開拓では、薩摩藩士が大きな役割を担うことになる。ストーリーは、①薩摩藩主導の産業革命と明治維新・北海道との係わりとなる「近世末の産業革命黎明期」②北海道開拓使から炭鉄港の基盤形成期③国内資源の重要供給地としての北海道の「産業基盤形成期」が軸となっている。
ストーリー上重要なのは、薩摩藩士・黒田清隆が開拓使次官となり、1873(明治6)年、創生川東側に工業局器械所を創設、蒸気器械所・水車器械所、鍛冶場をはじめ麦酒醸造所・紡績所・製陶所などを建設。まさに薩摩の集成館事業がモデルとなった。また北海道開拓にとって重要な役割を果たした屯田兵制度は、半農半士による行政と防衛を担う薩摩の「外城制度」がベースといわれる。
空知の石炭は、79(同12)年の幌内炭鉱(三笠市)の開鉱が起点となる。石炭は82年開通の幌内鉄道(三笠―小樽)で拡大、もともと北前船で栄えていた小樽は、石炭積出港として大きな役割を担うことになる。これを機に、空知炭鉱(歌志内)・夕張炭鉱(夕張)などが相次いで開発される。
また、室蘭も72年の海関所(室蘭港)の開設以来、石炭積出港として重要な役割を担う。のちの1909(同42)年には北海道炭鉱汽船輪西製鉄所(のちの日本製鉄室蘭製鉄所)が開かれ、鉄の町としての基盤が形成される。こうして、北海道は、明治以降の100年間で人口が100倍になるという、まさに高度成長を遂げることになる。
しかし、戦後のエネルギー革命は、空知の石炭産業に壊滅的な打撃を与え、69年から始まる第4次石炭政策のもとで、石炭産業は終焉を迎えることになった。こうした炭鉄港の終焉は、私たちに何を残したのか。ストーリーの結びは「既に起きた未来」で括られる。
起承転結の物語では、「結」の部分の意味が重要である。つまり北海道の次の100年に私たちは何を築けるのか。広大な大地は、いま日本の食糧基地や国際的な観光地域として無限の可能性を秘めている。この物語を次代に引き継ぐ新たな構想が求められている。
(日本観光振興協会総合研究所顧問 丁野 朗)