No.442 扉温泉・明神館、時代のニーズに合った施設づくり
扉温泉・明神館
時代のニーズに合った施設づくり
高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客様の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その理由を探っていく人気シリーズ「いい旅館にしよう!Ⅱ」の第6回は、長野県松本市・扉温泉の明神館会長の齊藤茂行氏が登場。周辺の温泉旅館が大型化するなかで、「売上を伸ばしながら利益を確保するのが経営」との信念で、時代のニーズに合った施設づくりを続けてきた明神館の取り組みを語り合った。
【増田 剛】
〈「いい旅館にしよう!」プロジェクトⅡシリーズ(6)〉
明神館
――明神館の歴史から教えてください。
■齊藤:大正のころですが、私の祖父が入山辺村の村長だった時代に、農繁期が終われば温泉でゆったりとできる村営の宿泊施設を建てました。しかし赤字経営が続いたため、1931(昭和6)年に祖父が責任を取るかたちで、会社を作り、宿泊施設を買い取ったのが始まりです。その後、父の妹(叔母)たちが学校に通いながら、自炊湯治宿として切り盛りしていましたが、戦後になって父が経営を担いました。
■内藤:齊藤会長が宿に戻られたのはいつですか。
■齊藤:東京の大学を卒業した1970年ごろで、当時の宿は襖で仕切られた鍵のない部屋が11部屋ありました。
私は父を説得し、1億5千万円を投資して手前の敷地に、新たに8部屋の宿を造りました。高度経済成長期のころで景気も良かったのですが、その後オイルショックが来ました。宿を新築したのは、第1次と第2次オイルショックの狭間でした。
このため私は、営業に出て、名古屋、関西、東京の旅行会社を回りました。当時、冬期の閑散期対策として、京都の旅行会社に1泊3500円のバスプランを提案すると、この企画が大ヒットしました。宿の周辺から山菜やキノコなどを採って来て、天ぷらにして提供すると、京都から訪れたお客様は喜んでくれました。原価は1割以下でしたね。翌年には他社からも「5千円で受け入れてくれないか」といったオファーがあり、あっという間に1泊1万円まで上がっていきました。…
※ 詳細は本紙1644号または10月6日以降日経テレコン21でお読みいただけます。