【元湯 陣屋に学ぶ―(前編)】週休2.5日とシステム化で利益生む 幸せに働く旅館の在り方
2018年2月10日(土) 配信
神奈川県・鶴巻温泉で1918(大正7)年から旅館を営む「陣屋」。1万坪の庭園に囲まれた館内では、300以上の将棋・囲碁のタイトル戦が行われてきた。2009年に10億円の負債を抱えて売却問題が浮上するが、現在は高収益の人気旅館に激変。なんと週休2・5日で利益を出す。高卒初任給は25万円で、社員の平均年収は業界平均250万円をはるかに上回る398万円。有休取得率100%、離職率3%の優良企業に生まれ変わった。立役者である宮崎富夫氏と妻で女将の知子氏に、2回にわたって物心両面を幸せにする旅館の在り方を聞く。
【取材・文=ジャーナリスト・瀬戸川 礼子】
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2009年10月、宮崎富夫氏と知子氏は陣屋の経営を引き継いだ。当時、富夫氏は本田技術研究所のエンジニアで、知子氏は夏に第2子を出産したばかりだった。
陣屋を営む宮崎家は、熱交換器の製造業も経営しており、富夫氏は陣屋ではなく製造業の後継者としてものづくりの道に進んでいたのだ。
ところが、陣屋の売却話によって2人の人生は一変。負債額10億円の陣屋に価値はないとされ、売却提示額はたったの1万円。しかも、保証人や抵当は抜けられないという悪条件だ。
富夫氏の出した結論は、ホンダを退職して陣屋を継ぐことだった。陣屋を愛した創業者や亡父の思いもくみたかった。
まさしく背水の陣だったろうが、「内心ワクワク感があったかもしれません(笑)」と実にポジティブ。「いろいろ言われて、逆に闘争心に火が付きました」とも。
□火・水曜日を定休日に
陣屋で最初に気づいた問題点は、コミュニケーションの悪さと人の多さだった。言った言わないの水掛け論が横行しているうえ、電池1つ取るのも許可が必要で、人が人を信用していなかった。また、出迎えの太鼓を叩くだけの人、靴を出すだけの人、と専任が多く、20室の宿に120人が働いていた。富夫氏はリストラはしなかったが、改革についていけない人は辞めていった。
定休日を設けたのは3年が過ぎてからだ。
「高収益のブライダルが軌道に乗り始めたこの時期、息子を連帯保証人から外すために借入を名義変更したんです。メインバンクが協力してくれなかったので、他行で借り変えてやりまして(笑)、金利も下がりました。ここまでが一つの区切りです」。
そして、富夫氏は考えた。「これから先は、がむしゃらに働くのはやめよう。みんなが気持ちよく休める体制をつくろう」と。おもてなしをするなら、心のゆとりが必要だ。何よりも幸せに働いていきたい。その答えの1つが、客数の少ない火・水曜日を定休日にすることだった。売上高が下がっても、利益が下がらなければいい。顧客からの苦情はさほど受けなかった。
実は、週休2日は、借り換え成功の功績でもある。銀行の目を気にしていたら、この大胆な改革は難しかったと富夫氏は言う。
□「陣屋コネクト」で 情報の共有化と透明化
陣屋の成功には、「陣屋コネクト」の存在が欠かせない。専門の人材を採用し、紙に書き写していた台帳の電子化を筆頭に、予約、売上、原価、在庫などをすべて電子化。自館の独自開発だから、作ったそばから現場で試用でき、使い勝手など何度でも改善を繰り返せるのが強みだ。
間もなくシステム運用が始まり、1人1台、iPadを支給。数値管理のほか、会議内容や顧客情報など、自分が直接かかわらない情報も含めて、すべてを全員と共有している。「生産性と主体性」を同時に高めるツールでもあるのだ。ちなみにプラットフォームは、セールスフォース・ドットコム社のものを利用している。
情報化は共有化しなければ意味がなく、また、共有化とは透明化のことなのである。
2人は、財務を含めて「すべてを(社内外に)公開する」と決めており、「公開できることしかしない」という。この清く正しい考えは、間違いなく躍進の土台だろう。
当時は、ITに慣れない社員たちだったが、入力しなければ給与申請できないなど、操作が必然となる工夫も凝らした。今では年配社員もiPodを自在に使い、「これがなくては働けない」と言う。
定休日や陣屋コネクトの成果は、次の数値にも明らかだ。スタッフ数は120人(正社員20人)から40人(同25人)に、人件費は50%から23%に、離職率は33%から驚きの3%に、料理原価は40%から32%に。
質を高めて宿泊単価を9800円から3万5千円に上げることに成功し、売上高は継いだ当初の2億9千万円から5億6300万円と2倍に。利益率の1つの指標であるEBITDAは、マイナス6千万円からプラス1億7千万円になった。
□助け合いネットワーク料理人、仲居もシェア
2013年からは、「陣屋コネクト」という別会社を設立し、自社開発のソフトを他旅館にも販売。仲間の輪を広げており、現在240社が導入中だ。
さらに15年からは、陣屋コネクト利用者間の助け合いネットワーク「陣屋EXPO」も始まった。なんと、料理人のシェア、仲居のシェアをする画期的な取り組みだ。
きっかけは、陣屋コネクトを利用する旅館で、全3人の料理人が一斉に辞めてしまったことだった。助けを求められた富夫氏は、次が決まるまでの間、陣屋の3番手を1人、送ることにした。ある程度の料理を陣屋の厨房で仕込み、真空や冷凍にして週1―2回配送する。これで、1人でも十分、対応できた。
もちろん現地調達の地元食材も扱うし、この機会に目玉商品の開発も行った。顧客の評価も良く、原価と人件費は下がり、3番手の料理人は1番手として活躍したことで成長して帰ってきた。誰もが喜ぶ料理支援の枠組みができたのだ。現在は6旅館の料理支援をしている。
「個々の人材や資源で他旅館と戦うのではなく、互いに協力・支援していくことが旅館業界には必要だと思います。お客さんのシェア、衛生管理の専門家や税理士、コンサルタントなどもシェアして、みんなで発展していけたらいいですよね」。
2人が目指すのは陣屋の一人勝ちではない。例えば料理人のシェアならば、将来は地域ごとにセントラルキッチンの役目を担う旅館が出てきてほしいと願う。
「そうすれば、地元のネットワークで地域ビジネスを豊かにでき、サポートする側もされる側もメリットがあります」。
仲居のシェアもすでに始まっている。
「うちのように週休2・5日で副業OKの場合、休日を他旅館で働けば、給料が増え、勉強ができ、人の役にも立てる。陣屋コネクトの仲間内で、『手伝って』、『手伝います』の情報交換をはじめています」。
これは災害時にも生きる考えだ。以前、箱根山が噴火した際、地理的に遠い陣屋にもキャンセルが発生し、予約が顕著に落ち込んだ。「営業努力だけではカバーできないこともあります。人手不足の旅館で、一時期うちの仲居を預かってもらうなど、相互に助け合えたらといいと思います。誰かが我慢をするスキームだと長続きしないので、みんなが喜べる方法で」と、知子さんは語る。
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日本人の人手不足は、もう解消されないだろう。近年、定休日を設ける旅館は徐々に増えているが、そのうち一般化するかもしれないし、従来はあり得なかった料理人や仲居のシェアも、遠くない将来、珍しくなくなる可能性が高い。
すると、競争ではなく「共創」が始まる。個々が儲ける部分は最適ではなく、業界を潤わせる全体最適を重視する本当の仲間になるのだ。未来はそれほど不安視するものでもない。今のうちから、こうした仕組みがあることを知っておくことが大切だろう。後編では、システムを使いこなす陣屋の教育について紹介しよう。
(2月21日号に続く)