「街のデッサン(242)」旅の絵葉書 隠された価値の発見
2021年6月6日(日) 配信
かつては旅に出ると「絵葉書」というのは必須の手に入れたい物だった。とくに海外の長旅だったら、旅先の情報を知らせる、あるいは今こんなところに来ているよという半分自慢のメッセージにも使った。
近年でも、観光地の名所にある土産屋の店頭に絵葉書用円塔が立っていて、記念的に数枚購入することもあるが、以前に比べるとめっきり少なくなった気がする。誰もがスマホを持ち、自撮り棒を掲げてプロの写真家顔負けの写真を撮るのが容易になったから、絵葉書の必要性はなくなってきている。それに、昔は旅行記念の分厚い写真帳があって、帰国後に写真や絵葉書を編集し、ときには思い出を反芻するのが楽しみの旅行好きも多かったはずだ。
他方で、年に何回も海外や国内を旅する人は、記録帳が物理的に膨大な量になるはずである。今はもう、パソコンに写真を始めとしたデータを取り込み、編集も自動でやってくれるソフトがあるから、思い出はすっかりパソコンに格納されてしまうようになった。
しかし、やはり絵葉書には絵葉書の良さがあって、スマホのデータには無い役割があるのではないか。
鎌倉隣りの鵠沼にいる友人のガラス工芸作家・芥川三千代さんに、この地域のアートフェスティバルに呼ばれ、コロナ厄害の始まる以前にお邪魔した。彼女のアトリエで美しい作品を堪能したが、部屋の隅に作品以外のガラクタ(?)が箱に放り込まれていた。興味本位で見ていると、彼女が「旅行好きだった父親の旅のお土産類で、碌なものはないけど何かあったらどうぞお持ちください」と言ってくれた。
箱の底を見ると、絵葉書類が束ねて入っている。バラして見ていると、なんと私の故郷の静岡県清水市のものが見つかった。故郷の絵葉書など見たことがなかったので、見開いて眺めると、日本平からの駿河湾を一望し、堂々と美しい富士山の雄姿が写っている。この日本平には、小学校、中学校、高校と遠足で必ず登った。そのパノラマには市内にある私の家もむろん判別はできないが、撮れているはずだ。熱い思い出が一挙に胸に込み上げてきたが、デジタル映像では古色蒼然には敵わない。
パリでの絵葉書の思い出――。リヨン駅に続く高架鉄道の跡地が今では観光名所で、「芸術の高架橋」と呼ばれて人気だ。その高架鉄道に機関車が走っている絵葉書を知り合いが見せてくれた。貴重な記録物として絵葉書の価値は侮れない。パリでは「絵葉書市場」が開かれ取引されているが、私も実は隠れたマニアになっている。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。