紅葉の見ごろを予想、全国紅葉最前線で発表

検索機能や情報を充実させる
検索機能や情報を充実させる

 日本観光振興協会はこのほど、協会ホームページのなかの「全国旅そうだん」サイト内に「2011全国紅葉最前線」(http://kouyou.nihon-kankou.or.jp/)を開設し、10月上旬に同サイト内で「全国の紅葉の見ごろ予想」を発表する。

 従来は、関東地方のみだった見ごろ予想を、今年度から日本気象協会と連携して全国に拡大する。

 紅葉最前線は、全国約700カ所の紅葉の名所スポットを写真入りで紹介するほか、12月上旬まで170カ所のスポットを対象に毎週木曜日、色づき情報を更新する。また、各地域のその週の見ごろ状況は、サイト上の日本地図で紅葉前線の南下を緑からオレンジ、赤色の色で表現して案内する。

 発信元の「全国旅サイト」は、全国の観光名所など約15万件の観光情報をフリーワードや地域などから手軽に検索できる観光情報検索サイト。同協会が、各地の旬な情報を、地方自治体や各観光協会から収集して運営している。

 今秋にサイトをリニューアルする予定で、より分かりやすい検索機能や情報の充実などをはかる。

〈会津復興ツアーレポート〉風評に向き合う会津の生産者

「安全とおいしさ届けたい」

 風評被害で観光客が激減している福島県・会津17市町村で9月から、「会津復興キャンペーン」が始まった。極上の会津プロジェクト協議会(会長=室井照平会津若松市長)とNPO法人素材広場(横田純子理事長)の主催で12月末まで実施している。「食べて応援、泊まって応援」を合言葉に、キャンペーンに参加する宿の宿泊者に抽選で特産品をプレゼントするほか、SNS(交流サイト)で応援メッセージを発信する県外客に対して、お得な「500円チケット」を販売するなど、「会津の応援団を募る」ユニークな取り組みもある。9月17、18日の両日、キャンペーンの一環で開かれた「会津復興モニターツアー」に参加した。今回のテーマは「食」と「宿」。訪れた先々は、震災前と変わらず、おいしいもの、安全なものをつくり、届けたいという生産者のひたむきな姿勢があった。
【鈴木 克範】

<新米送りだす努力>

 観光バスが会津盆地に入ると、黄金色の稲穂が実る水田地帯が広がっていた。休耕田にソバを植えているところも多く、白い花との対比やその先に望む磐梯山の美しい景色に目を奪われる。聞けば「あと1週間ほどで稲刈りが始まる」という。いつも通りののどかな景色のなかでコメ生産者の佐藤貴光さん(会津坂下〈ばんげ〉町)が迎えてくれた。

コメ生産者の佐藤貴光さん
コメ生産者の佐藤貴光さん

 津波被害や原発事故の影響で、今年は県下約1万5千ヘクタールの水田で作付けができなかった(JA全農福島)。これは約8万㌶の作付け面積(2010年東北農政局)を誇る福島の水田の2割に相当する。県産の新米収穫量が減るなか、「農協の仮払金(年間の価格変動を見越した一時買取価格)は高値の傾向にある」(佐藤さん)という。

 「自分の育てたコメは一番うまいと思う。値があがるのは喜ばしい」。佐藤さんはそう打ち明ける一方、「価格高騰で消費者に届きにくくなるのは本末転倒。値下げの努力も必要」という。おいしいコメを大勢の方に食べてもらうことを第一に考えている。

 新米のみずみずしさを保つ「籾殻(もみがら)保存」はその一例だ。この方法、かさばることに加え、生きた状態のため、そのままにしていると芽が出てしまう。いろいろ試したが、この難しい保管方法を採用した。

 新米の安全性について県は、収穫前は放射性物質濃度の傾向を把握する「予備調査」を、収穫後は放射性物質濃度を測定し出荷制限の要否を判断する「本調査」を、2段階で実施している。国の暫定規制値以下のものだけが市場に流通し、消費者に届く。

 出荷時期の早い「早場米」は安全が確認されすでに出回っているが、一般米も9月28日現在、会津坂下町など21市町村で出荷が認められた。10月上旬までにすべての市町村で検査を終える。 

<給食「牛乳」も再開>

 「会津べこの乳」のブランドで支持を集める会津中央乳業(会津坂下町、二瓶孝也社長)と酪農家の小池徳男さん(喜多方市)を訪ねた。

 3月21日、政府は福島県全域の原乳(乳牛から搾乳したばかりの牛乳)の出荷停止を指示した。県内の一部地域で基準値を超える放射性物質が検出されたことへの措置だったが、広い福島県全体を出荷停止とした。なぜ県単位なのか。多くの酪農家が戸惑ったという。

 会津地区はその後4回検査を実施。すべて規制値以下だったことから、4月8日に出荷制限が解除された。6月以降は、「原乳を生産する」県下すべての市町村で制限が解かれた。

 だが、制限は県単位、解除は市町村単位で行ったことでの歪みも生まれている。原乳生産者がいない会津若松市などは、検査対象がなく、未だ出荷制限が解除されていない。「これでは風評を助長しかねない。原発被害に苦しむ酪農家や生産者の立場に立ったルール作りを」(二瓶社長)と訴える。

会津中央乳業の二瓶社長
会津中央乳業の二瓶社長

 会津中央乳業は、会津地区で唯一の乳業工場だ。昔は15社ほどあったが今は孤軍奮闘している。通常、原乳は酪農家から、タンクローリーでクーラーステーションと呼ばれる集乳施設に集められ、工場に運ばれるが、同社には酪農家から直接原乳が運ばれる。どの牧場の原乳か、生産者を追跡できる仕組みを採用している。

 看板ブランドの「べこの乳」(牛乳)は、生乳本来の風味や甘みを生かすため、一般的な超高温殺菌(130度、2秒間)ではなく、85度15分間という殺菌方法を採用している。二瓶社長は「なべで沸かして飲んだ懐かしい味」と表現した。

 原乳が出荷制限された時、生産も危惧された。だが、病院などで牛乳の需要はあった。急きょ岩手県から原乳を調達し、ブランド名を外し、供給を続けたという。原乳の出荷制限が解かれ「べこの乳」の生産は再開したが、未だに都内小売店で販売自粛が続いている。

 ただ、明るい材料もある。学校給食には同社の牛乳が並ぶようになった。地域需要に即応する企業努力は住民に伝わっている。

 小池徳男さんは、会津中央乳業へ原乳を届ける生産者の1人。牛舎には35頭の乳牛と18頭の育成牛(子牛)がいる。乳牛は、放っておくと乳房に炎症を起こすため、毎日の搾乳が欠かせない。出荷停止後は、原乳を捨てる日が続いたという。それでも「会津は早期に制限が解除された方」と県下の酪農仲間を気遣う。

 取材当日は30度を超える夏の暑さ。「牛たちは暑さが苦手」と常に牛舎に気を配る姿が印象的だった。

<農家ごはんで一息>

 風評被害に立ち向かう生産者の現実を取材する合間、会津若松市内の簗田(やなだ)麻子さんのモモ畑で、農家の朝ごはんを頂いた。

 簗田さんの自宅から、モモ畑へは水田や畑のなかを歩いて10分程度。会津ならでは清々しい朝の散歩だ。簗田さんは夫とおばあちゃんの3人でトマトやキュウリ、ナシ、スイカ、コメなどを育てている。そんなにたくさんと聞くと「それぞれに得意、不得意があります」と笑う。

 モモの木の下には、おにぎりやキュウリの一本漬など、シンプルな料理が並ぶ。育てた本人と一緒に囲む、贅沢な食卓だ。

<食と漆器の饗宴提案>

 1日目の夕食は東山温泉の原瀧が会場。「食と器の饗宴」と題した提案を行った。各所で眠っていた会津漆器を会場に持ち寄り、創作料理の器として活用。黒や赤を基調とした会津漆器が、料理に彩りを添えた。

 会津漆器は木地(素地)、塗、加飾(蒔絵や沈金)というそれぞれの生産工程で専門の職人がいる。生活様式の変化に伴い、生産量は減少しているが、「会津の漆器は生活漆器」(丸祐製作所の荒井勝祐さん)、土産物だけでなく、会津旅行のなかで漆器に触れてもらおうと、新しい宴席スタイルを提案した。

会津漆器と創作料理の饗宴
会津漆器と創作料理の饗宴

 料理を担当したのは山際食彩工房代表の山際博美さん。素材広場の立ち上げ時のメンバーで、農林水産省の地産地消の仕事人にも選ばれている。会津地鳥のゆったり蒸しや磐梯鱒のマリネ、枝豆の掻き揚げなど、会津地区17市町村の食材を使った創作料理を披露した。

<信頼や興味が動機に>

 福島県では、ホームページで、観光地ごとの放射線量(http://www.tif.ne.jp/senryo/)や農産物のモニタリング情報(http://www.new-fukushima.jp/monitoring.php/)を分りやすく公開している。国の基準に対して、県下はどうなのか。消費者が知りたい情報を簡単に検索できるようにした。

 今回の1泊2日のモニターツアーで活躍したのは内閣府の「地域密着型インターンシップ研修」事業で素材広場に集まった12人の研修生たちだ。愛媛や新潟、京都、大阪、愛知など、県外から学生たちが会津に集まり、生産者や宿泊施設という現業を通して地域活性化を学んでいる。

 「我われは普段通りの生活をしている。本音を言えば復興や支援ではなく、会津の魅力を伝えて大勢の方にお越しいただきたい」。行程中そんな声も聞いた。ツアーでは、生産者の取り組みを通じて、現状を伝えるとともに、伝統工芸を生かした新しい提案もあった。インターンシップ生の例など、生産者への信頼や、新しいもの、取り組みへの興味が会津をはじめ福島県へ出向く動機になればと思う。

訪日外客32%減の55万人、8月の推計値発表

 日本政府観光局(JNTO)が発表した2011年8月の訪日外客数(推計値)は、前年同月比31.9%減の54万6800人。震災発生後、6カ月連続の減少となるが、減少幅は徐々に縮小傾向にある。 主要な市場では、韓国は同40.5%減の14万7000人、中国は同40.1%減の10万2800人、台湾は同12.6%減の9万9100人、米国は同15.6%減の4万6800人、香港は同25.5%減の3万8400人と軒並み減少。
 一方、出国日本人数は、同9.1%増の179万2000人。震災後初めてプラスに転じた7月に続き、2カ月連続の増加となった。

JNTO新理事長に松山氏、3代連続で民間出身者

松山良一新理事長
松山良一新理事長

 日本政府観光局(JNTO)の間宮忠敏理事長が9月30日で退任し、新理事長に松山良一氏が就任した。

 間宮理事長は、民間出身初の前理事長に次ぐ民間出身者の2代目。07年4月から4年半務め上げた。9月16日の会見で間宮理事長は退任について触れ「国をあげた観光立国の動きやインバウンドへの関心の高まりなど、恵まれた期間に務めさせていただいき大変感謝している。ビジットジャパン事業への貢献を最大のミッションとし、海外13事務所のネットワークや各国と醸成された信頼関係、専門機関としての専門性などを生かし、全力で取り組んできた」と振り返った。

 新理事長の松山良一氏は三井物産出身で、08年から駐ボツナワ日本国特命全権大使兼南部アフリカ開発共同体日本政府代表を務めている。

 松山良一(まつやま・りょういち) 鹿児島県鹿児島市出身。1972年東京大学経済学部卒業、三井物産入社。89年Harvard Business School(PMD)履修。95年イタリア三井物産社長。99年三井物産広報室長。01年三井物産情報総括部長兼営業事業部長。04年米国三井物産副社長兼情報産業本部長。05年三井物産九州支社長

31人が大臣表彰、旅館は福寿荘社長ら14人

31人が表彰を受けた
31人が表彰を受けた

 国土交通省は9月21日、2011年度観光関係功労者大臣表彰の表彰式を開き、計31人を表彰した。旅館業(経営者)は、多年にわたり旅館業の振興と発展に寄与したとして、観光旅館福寿荘社長の木村圭仁朗氏ら8人が受賞した。旅館関係の受賞者は女将や従事者合わせ計14人。ホテル業は12人、旅行業が4人、観光レストラン業が1人。

 あいさつに立った前田武志大臣は「観光産業に従事される皆様のご努力こそ、観光立国に不可欠なもの。本日受賞された皆様は各分野で重要な役割を担ってきた。皆様のおもてなしこそ我が国の大きな魅力にほかならない。今後もなお一層のご尽力をお願いする」と称えた。

 また、旅館業(経営者)の代表として登壇した木村社長は本紙の取材に対し、「旅館業は全般に大変な時期なので、被災地の旅館も含めて一緒に元気を出していきたい。地域ごとの特色もあり、お客様が求めるものも多様化しているので、個性も必要だが、旅館に求められる基本的なものは変わらない。大変な時期だからこそ『元気をだせ』という意味で賞をいただいたと思うので、今後もこれを励みにがんばりたい」と受賞の喜びを語った。

 各業種の受賞者は次の各氏。

【ホテル業(経営者)】
小林哲也(帝国ホテル社長 社長執行役員)▽森本昌憲(藤田観光会長兼執行役員会長)▽平良朝敬(かりゆし会長)

【ホテル業(従事者)】
宇野清(山の上ホテル料飲部副部長)▽櫻井昌能(京王プラザホテル宴会部副部長兼宴会サービス支配人兼総支配人付要員コントロール支配人)▽照井正光(プリンスホテルCS推進部マスタートレーナー)▽中塚三重(ロイヤルホテルリーガロイヤルホテル東京管理部施設チーム課長)▽渡邊龍朗(帝国ホテル調理部センターキッチン課プレパレーションシニアスタッフ)▽奥野篤一(京都ホテル宴会予約部嘱託)▽兒玉和義(阪急阪神ホテルズ六甲山ホテル営業部調理長)▽寺裏恒夫(ロイヤルホテル経営企画部部長代理)▽田形健三(リーガロイヤルホテル広島管理部施設課支配人)

【旅館業(経営者)】
堀是治(つるやホテル社長)▽中島勝己(ホテル黒部社長)木村圭仁朗(観光旅館福寿荘社長)▽吉井啓二(国際観光旅館連盟近畿支部常任理事 三晃商事社長)▽三矢昌洋(喜代美山荘代表取締役)▽小金丸修(金住社長)▽田浦郁乃(佳松園代表取締役)▽中上袈裟松(日本観光旅館連盟南九州支部副支部長 旅館牧水代表取締役)

【旅館業(女将)】
武田カズエ(竹村家専務取締役・女将)▽小山玲子(丸小ホテル取締役・女将)

【旅行業(従事者)】
前川福江(山田屋〈旅館・花紫〉接待長)▽今福和則(伏尾の鮎茶屋〈旅館・不死王閣〉調理部課長)▽西村清美(奥城崎シーサイドホテル支配人)▽廣川正勝(湯郷プラザホテル調理長)

【旅行業(経営者)】
勝又洋(全国旅行業協会静岡県支部支部長 富士旅行社長)▽髙橋光昭(全国旅行業協会大分県支部支部長 富士見観光旅行センター代表者)

【旅行業(添乗員)】
髙木英二(ツーリストエキスパーツ添乗員)▽茂木隆一(ジャッツ添乗員)

【観光レストラン業(経営者)】
津田曉夫(なだ万社長)

にいがた朝ごはん、プロジェクトスタート

高橋部長
高橋部長

 新潟県旅館組合青年部(高橋五輪夫部長)は新潟産のコシヒカリや地元の食材を使ったおかず(にいがたごはんの素)を、朝ごはんに提供して新潟の地域食文化を継承する「にいがた朝ごはんプロジェクト」を展開している。9月13日には東京・表参道の「新潟館ネスパス」で記者会見を行った。

 青年部の高橋部長は「コシヒカリと地域色豊かなおかずでお客様をもてなしたい」とあいさつ。今回のプロジェクトリーダーの井口智裕氏も「おいしいコシヒカリを産地の水で炊き提供する、これは産地ならではのこと。第1弾のキャンペーンは9月から11月までだが、コシヒカリに合うおかずは季節により変わる。四季それぞれでキャンペーンをはり、通年型の取り組みにしていきたい」と述べた。

 「にいがた朝ごはんプロジェクト」は県内の13の温泉地・観光地の115軒の宿泊施設が参画。コシヒカリに合う、地元産の食材を使用したおかずを提供。おかずは地域にもともとあったものや今回新たに開発したものを、温泉地・観光地の統一メニューとして提供する。

 なお、9月12―15日までの4日間は「日本橋・にいがた館NICOプラザ」で観光PRを実施、にいがた朝ごはんプロジェクトの周知のため、にいがたごはんの素の試食・販売が行われた。来場者は気になるごはんお素を、アツアツのコシヒカリに乗せて味わった。

瀬戸内中心に外客誘致、名古屋―福岡新ルート開発

エメラルドルート

 西日本広域観光緊急会議が9月20日、愛知県名古屋市内のホテルで開かれた。3回目となる今回の会合では、インバウンドを対象に、瀬戸内海を中心とした中部から九州までの新たなモデルルート「エメラルドルート(仮称)」を設定した。「ゴールデンルート」と称される知名度の高い東京―大阪間のルートに加え、西日本の広域観光モデルコースをつくることにより、東日本大震災で深刻な打撃を受けた観光業界の活性化をはかる考えだ。

 九州、四国、中国、関西、中部の各地域は以前から豊富な観光資源と立地条件を活かしていこうと広域連携による観光振興に取り組んできた。同会議は、日本観光振興協会の中部、関西、中国、四国、九州の5支部をはじめ、同地域の観光関係団体で構成されている。「西日本から日本を元気に」を合言葉に、「西日本広域観光推進運動(キャンペーン)」を官民あげて展開していく。

 エメラルドルートは、名古屋―大阪―岡山―高松―松山―広島―福岡を基幹ルートとする。瀬戸内海クルーズや産業観光、美食の旅などのテーマを組み込み、多種多様なコースをつくりだし、旅行会社などと連携し旅行商品化を推進する。周辺の観光地を巻き込みながら、長期滞在も可能なルートを開発し、海外に売り込んでいく計画だ。

 今回の会合ではもう一つ新たな取り組みを実施することを確認した。今年12月からJRグループと協力して「モバイルスタンプラリー」を展開する計画だ。GPS機能付きの携帯電話で北海道から九州まで日本各地を巡った人にプレゼンをする内容で、スタンプの設置場所や、プレゼント内容などについては、これから詰めていく。

 第3回会合をもって、5月17日からスタートした西日本広域観光緊急会議は一つの区切りとなるが、今後も連携を密にし、西日本の広域観光の推進に取り組んでいくとしている。

東電の原発賠償基準「到底容認できない」(福島県旅組)

<なぜ福島が他県と同じ?>
<被災者受入の売上控除に>

 東京電力は9月21日、企業や個人に対する福島第一原子力発電所事故の損害賠償基準を発表したが、最大の原発事故被災県である福島県の旅館業は、「到底容認できない」姿勢を示している。

 観光業の風評被害では、福島(避難区域外の地域)、茨城、栃木、群馬の4県に事業所がある事業者を対象としている。4県以外の観光事業者は、3月11日以降5月末まで外国人観光客に関する解約についてのみ、一定の算定基準で賠償される。

 今回の賠償基準について東電は「原発事故だけでなく、地震や津波の影響もある」との考えを示し、前年同期比の減収率のうち、2割を対象外とする基準を示した。

 一例として、旅館の昨年の売上高が500万円あったが、今年は220万円まで落ち込んだ場合、減収率は56%。東電の基準ではこのうち20%が除外され、36%となる。賠償額算定の基礎となる額(売上高に一定の比率〈宿泊業は60%〉をかけて算出することも可能)を300万円とし、これに36%をかけると、賠償額は108万円となる。8月末までを賠償の対象期間とし、9月27日から受け付け、10月中旬から賠償額の支払いを開始する予定だ。9月以降については、3カ月ごとに支払うという。

 東電の賠償基準を受けて、福島県旅館ホテル生活衛生同業組合の菅野豊理事長(磐梯熱海温泉・ホテル華の湯社長)は22日、本紙の取材に対し、「不満でいっぱいだ。原子力損害賠償紛争審査会で、旅館業を代表して『100%原子力損害によるキャンセル』と訴え、能見善久会長も認めていただいた。その後も東電とは何度も交渉したが、とくに福島県が他県と同じ基準に設定されたことは到底認められない」と強調。さらに、「福島県で1万8千人の被災者を受け入れてきた売上げが控除になっていないのもおかしい」と語り、今後は「同組合として団体交渉を続けていく」考えを示した。

No.291 着地型旅行 - 採算?地域振興?―意義と未来像

着地型旅行
採算?地域振興?―意義と未来像

 着地型旅行が定着し始め、各地域で特色を生かした商品が造成されるなか、「採算が取れない」などの理由で断念するところも出てきている。着地型旅行とはそもそも何なのか? 着地型旅行の未来を占うべく、先がけでもある群馬県観光国際協会の牧野文成事務局長と、「旅の発見」を管理・運営するティーゲートの福井善朗ニューツーリズム・コンサルティング部長、大阪あそ歩事務局の茶谷幸治チーフプロデューサーに話を伺った。

【伊集院 悟、関西支社長・有島 誠】

 

 

 

群馬県観光国際協会事務局長
牧野 文成 氏

<関東圏で協議会を>

「着地型旅行は地域の宣伝」

 3年前に群馬県観光国際協会に来て、各地域を回ったときに「地域の観光資源」について地元の人に聞くと、皆が「いや、うちにはそんな大層なものないよ」と言っていました。観光パンフには載っているのに、地元の人が地元の宝を知らなかったのです。細かいところに隠れている面白いもの(宝)を表に出したり、単体では魅力が少なくても組み合わせることにより輝かせたりなど、地域の隠れた素材に光を当てるために着地型旅行を始めました。(一部抜粋)

 

     ◇   ◇

 

ティーゲート ニューツーリズム・
コンサルティング部長
福井 善朗 氏

<着地型 = 地域振興>

「人材育成と売り場の専門化」

 10年くらい前から「着地型旅行」という言葉が使われ始め、旅行会社によるマスツーリズムと異なる「ニューツーリズム」を扱おうと、4年前に弊社が設立されました。今は、(1)着地型旅行の売り場である「旅の発見」の管理・運営(2)商品造成のワークショップや、地域で観光に携わる人材育成など、地域のコンサルティングの2つをメイン事業で行っています。(一部抜粋)

 

 

※ 詳細は本紙1435号または10月6日以降日経テレコン21でお読みいただけます。

強者の「ものさし」 ― 小さくても声を上げよう(10/1付)

 人類史上最大の出来事とされる18世紀末のフランス革命で、ロベスピエールは生存権というものを提唱した。日本国憲法の第25条にも書かれている「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という言葉の意味を、このごろよく考える。

 何よりも先に、我われは健康な生活を営む権利を持っているのだ。だが、福島県第一原子力発電所の事故以来、放射線の線量計を持参する子供たち……。未来の生存権はしっかりと守られているのだろうか。

 21世紀は、水と農業と環境と観光の時代である。国民の生存権を守るには、安全な水や食料の確保といった、健康な生命を維持できる環境の維持が第一。その土台の上に、文化的な生活を営む一つの重要な要素として、人的交流を促す観光の推進が不可欠である。

 だが、日本が経済産業至上主義であることを、今回の震災と原発事故以降、何度となく痛感した。日本経済団体連合会の会長は、原発推進を声高に叫ぶ。原発事故によってこれだけの大災害を起こした直後でありながらだ。十分な安全性の確認や検証も進んでおらず、国民の同意を完全に得たわけでもないのに、その態度は勇ましい。だが、その勇ましさがどうしても産業の「エゴ」にしか聞こえない。生存し、生活を営むうえで、人にはさまざまな尺度があるが、この国では巨大な経済団体が示す「ものさし」が一番力強い。そのものさしに、政治家や官僚、〝魂を売った〟優秀な学者がくっついてしまえばもう何も怖いものはない。中小企業経営者や個人の感情や尺度、声はものの数にもならない。

 9月21日に、東京電力が〝ほぼ人災である〟福島第一原子力発電所事故による損害賠償の基準を発表した。対象は農業や製造業、サービス業など広範にわたるが、観光の風評被害については、「地震や津波の影響もある」との算定で、減収分の2割を減額とした。納得のいく水準からほど遠いというのが実感だろう。〝風評被害〟と第三者的な表現をしているが、実態は「実害」である。原発事故が一定の目途がつくまでは周辺観光地には打つ手がないのだ。予想通り、損害賠償も「強者のものさし」で計られたが、たとえ無力であっても「ものさし」が一つではないことを示していくべきだ。

(編集長・増田 剛)