2024年10月12日(土) 配信
「人は死んだら恐山に行く」との伝説があるように、恐山は死者と対話ができる場所として知られている。その存在はずっと気になっていたのだが、ようやく訪問することができた。
青森県・下北半島の内奥に位置し、なかなかアクセスしづらいところにあるこの恐山は、なぜここまで気になる存在なのか。まず、恐山という名前がおどろおどろしい。恐の文字はその意味はもちろん、字面も怖い。日本三大霊山は、高野山、比叡山、恐山と言われているが、高野山と比叡山と比べてもどうも恐山だけが怖い印象を持ってしまう。そして、恐山の画像をウェブサイトで検索すると、草木が生えていない灰色の世界で、まさに地獄の風景が現れてくる。さらに、恐山ではイタコの口寄せが行われているというところも、さらにあの世に近い印象を感じる。
恐山菩提寺は、言い伝えによると平安時代の862年、天台宗の僧慈覚大師円仁によって創建された。円仁は「東方行程30余日の所に霊地があり地蔵尊像を安置せよ」という夢を見て、北行したと伝えられている。ちなみに円仁は北行の際、山形の立石寺も開山したと伝えられている。その後、1522年に曹洞宗の僧聚覚が南部氏の援助を受け、円通寺を建立して恐山菩提寺を中興し、その際に曹洞宗に改められた。
到着する参詣者をまず迎えるのが六地蔵である。地蔵殿に安置されている本尊は円仁作と言われる地蔵菩薩で、境内奥からは八葉地蔵菩薩が温かく参詣者を見守っている。
地蔵菩薩とは、自らが犠牲となって人々を救う存在であり、それは地獄においても人々を救済するという庶民に寄り添う慈悲深い仏である。そのような地蔵菩薩とまず出会うことから、当初抱いていた恐山のイメージが最初に覆されることになる。ここは怖い場所ではないのではないか、そんな気持ちを持ちながら境内へと入っていく。
総門、山門を過ぎると、目の前に小屋が現れる。これはなんと温泉で、参詣者は自由に入浴ができる。地獄の入口とはどうも思えない。
心身ともに温まって、本尊のある地蔵殿でお参りをしたあと、足を進めると、硫黄のにおいが立ち込めて、草木も生えないごつごつした岩場が見えてくる。所どころから水蒸気が発生していて、荒涼とした景観が続く。
さらに足を進めていくと、八角円堂にたどり着く。ここには故人の遺品を納める場所となっている。衣服や故人ゆかりの品物を見ることで、会ったこともない人々に対してどんな方だったのかなと思いを馳せる。
ここまで来ると、目の前の景色が一変する。今までの荒涼としたいわば地獄の様相だったものが、宇曽利湖の静かな湖畔にたどり着く。7色の湖面と言われるように、えも言われぬ美しさを保っている。今まで歩いてきた地獄的な景観からは想像のできない穏やかな美しい景色が待っていたのだ。
この砂浜は極楽浜と名付けられていて、湖の先にある山を越えた先に、死者がいるとされている。私が訪問したときも、亡くなった家族に向かってであろうか、「元気でやってるかー」と大声で呼び掛けている人、ずっと山の先を見つめながら座って祈っている人がいた。
恐山は地獄の先に極楽があった。
ここには穏やかで温かい心があった。
私が訪問したのはちょうど夏の例大祭の期間で、イタコの口寄せも行われていた。実はそれを目当てにこの時期にしたのだが、実際に自分が極楽浜に立ったとき、イタコの助けなしで死者と対話ができたと感じたので、口寄せの列に並ぶことなく、すがすがしい心持ちで恐山をあとにした。
■旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授。2019年「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。