2022年5月19日(木) 配信
今年、1872(明治5)年に鉄道が新橋―横浜間を開通して150周年を迎えるのは周知のとおりである。
鉄道の歴史を改めて眺めていると、日本国有鉄道が運輸省から分離し公共企業体として発足したのが1949年で実は私の生まれた年であったことが判明。だからどうということはないのだが、小学校のころ、夜行列車に乗り福岡を目指し、瀬戸内海の朝焼けに目覚め工場の煙突から出る炎に驚かされたことや、高校時代には周遊きっぷで九州一周、大学で四国一周を果たしたことなどが思い起こされる。往復と地域が組み合わさった周遊きっぷは旅の強い味方であった。
昔、旅先を探すのに、時刻表のダイヤとともに周遊指定地をみて思案した。周遊指定地を示す枠は重なり合うように全国を埋め尽くしていた。
そして国鉄では、毎年周遊指定地(観光地)の入込客数を調査しており仕事に役立たせていただいた。前日本観光旅館連盟は“駅長さんが薦める宿”がうたい文句であった。鉄道が観光の移動手段の60%以上を占めていた時代といえばそれまでだが、色々な面で遥かに地元密着型の鉄道であり事業であったことは間違いない。
観光との連携という視点からは、特色ある列車の整備・運行そして乗車体験、鉄道展示資料館の整備、鉄道遺構の現場展示、運転体験、鉄道敷の新たな利用、ロケ地としての活用、関連グッズの販売、多彩な駅弁、車内でのイベントなど、さまざまな取り組みがなされてきた。
その一方で地方鉄道の存続、マニアックな市場から広範な需要の拡大、地元との連携による駅前活性化、鉄道利用の旅行商品化拡大、遺構を含めた鉄道資源の文化的価値・魅力の向上と周知、エコツーリズム・グリーンツーリズムなど他の活動との連携による新たな地域運営など多くの課題も有している。
仕事で大井川鐡道とグリーンツーリズムの推進という農家参加型の鉄道モニターツアーに関わりあったが、SLで移動し途中下車の駅舎では地元野菜のバーベキューなどが振る舞われ新たな地域連携のあり方をみることができた。
観光振興の大切な方法のひとつは、“昔は良かった”という一言に従うことにある。地域が最も輝いていた時代の断面からその土地の記憶を呼び覚まし整備するのが魅力と個性ある観光地を創り出す。いわば“故きを温ねて新しきを知る”である。
今年は各鉄道会社など、さまざまな記念の催しが行われるであろう。日本鉄道保存協会においても9月17~18日に鉄道遺構まち歩きなどを予定している。単に記念行事として一過性で終わらすことなく、これを機に、鉄道事業者一丸となり、地域を始め観光業、農林漁業など多様な関係組織そして旅を求めるすべての人による、いわば“鉄道の六次産業化”ともいうべき協働型手法により、鉄道が持つ多彩で多様な魅力を発揮していくことが求められている。