2022年2月5日(土) 配信
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が満を持してスタートした。
セリフが現代語すぎるとか、長澤まさみのナレーションが聞こえないとか色々指摘する人は指摘するが、新しい試みをするときに批判はつきものだ。そんなものに恐れをなしていたら何もできない。平安時代の言葉でドラマを作ったらそれこそ誰も理解不能で、結局ニセの時代劇言葉にするくらいだったら、坂東武士たちは現代人と同様フツーに人間として悩みながら生きているその想いを知るために、わかりやすい現代語でドラマを作って何が悪いと思うし、長澤まさみのナレーションはものすごく心地よくていいではないか。
最近のNHKは周りの意見に耳を貸しすぎて迷走が過ぎる。素人をリーダーに据えると、こういう意思決定になる典型だが、最前線では堂々と自分たちがやりたい番組制作を続けてほしいものである。
頼朝のともすれば監視役にいつ殺されるかわからない苦悩と、強かに生き延びる術こそがドラマ序盤の見どころであり、その本質を三谷幸喜の脚本と芸達者な俳優陣が見事に仕上げてきている。
視聴者にとって馴染み深くない平安時代末期で、登場人物もほとんど知名度がないなかで、一人ひとりの登場人物をここまで生き生きと描ききっているから、きっとこれから鎌倉幕府への関心もおのずと高まってくるだろう。戦国時代と明治維新だけでない、日本の歴史の奥深さを世に問うきっかけになるドラマだと断言できる。
ここまで本連載で4回にわたり頼朝ゆかりの地を巡ってきたが、これだけの予習でドラマの背景が理解でき、そのシーンが生き生きと脳内で立体化される。
死と常に隣り合わせに自分の運命を他人に預けつつ、大志をまっとうしようと祈りながら生きる頼朝の想いを想像しながら、今回からは鎌倉を歩いてみたい。
頼朝と鎌倉の地との出会いは、石橋山の合戦での敗戦後、房総半島に逃げ延びて、そこから体勢を立て直した際に合流した房総の有力者千葉常胤からのアドバイスであるという。父義朝が拠点としていた鎌倉を常胤が勧めて、頼朝もそれにならってこの地に入ることとなった。今回はその道をたどってみる。
亀ヶ谷坂切通
鎌倉駅まで行かず、一駅手前の北鎌倉駅で降りる。建長寺方面に800㍍ほど歩くと、右手に足利尊氏ゆかりの長寿寺が見られるので、その先の道を右折する。ここが、亀ヶ谷坂切通と呼ばれる道である。この道を通って頼朝は鎌倉入りしたと言われている。
鎌倉は三方を山に囲まれた天然の要塞である。切通は7つに限定され、しかもどの切通も狭いので、防御がしやすい。
現在、亀ヶ谷坂切通は車が通れない。小町通、若宮大路等の喧騒が嘘のように人通りも少なく、野鳥の声が澄んで聞こえる。
寿福寺裏山にひっそりとある北条政子の墓
亀ヶ谷坂切通を抜けると、政子と実朝が眠る寿福寺がある。鎌倉五山のうちの第3位に位置づけられるのに、参拝客は多くなく、静寂に包まれている。政子の墓もひっそりと崖に作られた横穴の中にあり、見過ごしてしまいそうである。このスタイルの墳墓を鎌倉では「やぐら」と呼ぶ。禅寺だけあって、華美な装飾はなく、いたってシンプルである。頼朝の死後、尼将軍と呼ばれ、承久の乱の前には名演説で人々を鼓舞した政子に対し、私は勝手に我が強い人とのイメージを抱いていたが、この墓所を見る限り、その生涯は自分のために生きたのではないという印象を受けた。
寿福寺に隣接して、英勝寺という寺院がある。ここは江戸時代の創建であるが、竹林が美しく、静かに自分を見つめ直すにはおすすめの場所である。
■ 旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授、日本国際観光学会会長。「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。