ラグーナテンボス、ドローンショー開催 イルミネーションとのコラボで

2025年1月6日(月) 配信

ショーのイメージ

 ラグーナテンボス(小寺康弘社長、愛知県蒲郡市)は1月11日(土)、SkyDrive(福澤知浩CEO、愛知県豊田市)と共同で、ラグナシアにおいてイルミネーションとコラボレーションしたドローンショーを開催する。同園でのドローンショーは今回が初めて。

 ショーでは、500機のドローンを園内方向に向けて飛行させる。BGMとラグナシア全体を照らす光の演出と合わせて、空に光の世界を表現する。同社は「ドローンショーの前後にイルミネーションを見て、パーク内と夜空の双方を楽しんでほしい」としている。

 開催時間は午後8時10分から10分程度。雨天の場合は1月12日(日)に延期される。

「もてなし上手」~ホスピタリティによる創客~(168)コミュニケーション力を高めるおもてなし 質問から会話に慣れる

2025年1月5日(日) 配信 

 

 コミュニケーションが苦手な人が増えているように感じます。友人とは話せるが、仕事となると友達言葉ではいけないと言われて、ますます話すことが苦手になったという声を現場でよく聞くようになりました。

 先日、最近人気だというロードサイド店に家族で食事に行きました。入口でスタッフに声を掛けると、直ぐに席の案内がありました。ところが入口で、席札とおしぼり、そしてモバイルオーダーのQRコードが表示されたプラスチックカードが入った小さな籠を渡されました。つまり、番号の席に自分たちで行き、オーダーはスマートフォンでしてください、といった具合です。店内は各テーブル内が見えないように壁で仕切られているため見渡すことができません。迷いながらもなんとか席まで到着し、早速オーダーしようとしました。パスタ・ピザの大きさや量が分からないため、質問しようと呼び出しボタンを押しましたが、一向にスタッフが来る気配がありませんでした。家族は、不便だけど仕方ないのではないかとあきらめていました。人気の理由は、仕切りがあるプライベート空間内でのおしゃべりに適しているからだそうです。スタッフとの余計な会話もほとんどなく、煩わしくないのが良いとか……。働く方たちにとっても余計な気を使う必要もなく楽なのかもしれません。人手不足の時代ですので否定はしないものの、サービス業界の未来が心配になってしまいました。

 別のお店でのことです。同様にお店に入って席に案内されるときに、若いスタッフの接客にうれしくなりました。振り返りながら私たちの歩くスピードを気に掛けてくれていたのです。そしてそのスタッフは、私たちの歩調に合わせるため、「はじめてですか? 近くにお住まいですか? 寒い日にようこそお越しくださいました」など簡単な会話をしてくれました。私たちもその質問に気軽に応えながら席まで案内されました。クライアント企業にも話していることですが、相手の歩くスピードに最も合わせやすい方法は、会話をすることです。

 アルバイトや新社会人が仕事としてコミュニケーションを取ろうとすると構えてしまい話せなくなってしまうものです。簡単な質問をいくつか用意して、今日はこの質問をしてみようと目標を持って声を掛けるところから始めましょう。企業は失敗を指摘するのではなく、その結果を聞きさらに会話が深まるようにアドバイスしていくことが重要です。

 こうして「慣れ」を創る機会を持たせていけば、コミュニケーション力は高まっていくのです。コミュニケーションとは、難しく考えるのではなく声を掛ける勇気を持つことが最も大切なのです。

 

コラムニスト紹介

西川丈次氏

西川丈次(にしかわ・じょうじ)=8年間の旅行会社での勤務後、船井総合研究所に入社。観光ビジネスチームのリーダー・チーフ観光コンサルタントとして活躍。ホスピタリティをテーマとした講演、執筆、ブログ、メルマガは好評で多くのファンを持つ。20年間の観光コンサルタント業で養われた専門性と異業種の成功事例を融合させ、観光業界の新しい在り方とネットワークづくりを追求し、株式会社観光ビジネスコンサルタンツを起業。同社、代表取締役社長。

 

 

 

「津田令子のにっぽん風土記(112)」雪景色と温泉を独り占め~ 群馬県・嬬恋村編 ~

2025年1月4日(土) 配信

白銀の世界は幻想的な雰囲気に
嬬恋村観光商工課 加部貴裕さん

 「嬬恋村の冬の魅力は、やはり雄大な雪景色ではないでしょうか」と嬬恋村観光商工課の加部貴裕さんはおっしゃる。

 日本百名山の一つ浅間山の麓に位置し、冬になると雪に覆われた美しい風景が広がり、白銀の世界は訪れる人々を幻想的な雰囲気に包み込む。「とくに、雪の積もった森や山々は、写真愛好家に人気のスポットです」。

 以前テレビの取材で雪上歩行具の「スノーシュー」を履いて散策するツアーを体験したときの雪質の良さと、雄大な風景は今でも記憶に残る。「早朝の雪原には、ニホンカモシカやキツネなどの足跡が残っていることもあります。スキーはもちろん、さまざまなアクティビティが楽しめますし、星が降るような夜空も大きな魅力ですのでお泊まりいただいて風景美とともにお楽しみいただければ」と話す。

 特色の異なる4つのエリアの温泉でリラックスすることもお勧めという。「村内には数多くの温泉宿があり露天風呂からの雪景色は格別。地元の食材を使った料理とともに贅沢なひとときをお過ごしいただけます」。

 標高1800㍍の高地に位置する天空の温泉郷が万座温泉。湯煙がモウモウと立ち上がり温泉地特有の硫黄の臭いが漂っている。

 「古くから万病に効く湯として知られ、空の近くで温泉を満喫したい方にぴったりです」と加部さん。

 山間にある古き良き温泉郷が「鹿沢温泉」だ。鎌倉時代から湯治場として栄え1917(大正7)年の火事で全焼し、湯元「紅葉館」を残し4㌔下った先に引き湯して生まれたのが新鹿沢温泉だ。バラギ高原の西にそびえる四阿山。水の神様がいるという。山から流れ出る湧水はバラギ湖をたたえ、バラギ湖地下から汲みあげる水は、嬬恋随一のおいしさを誇る。ここは、伝説の英雄・ヤマトタケルノミコトが亡き妻を思い、愛の涙を流した地でもある。

 浅間高原は、1783年に起きた浅間山の大噴火。それによってもたらされた恩恵の一つが、この地に「温泉」が湧いたこと。キャベツをはじめとする高原野菜が育ち、ゴルフ場が生まれるほどなだらかな大地になった。「この冬、嬬恋村を訪れてその魅力を味わってみてください。1月18日、2月15日、3月1日に開催される『レッツ! パウダースノーシュー』(いずれも要予約定員あり有料)に参加なさって趣の異なる温泉に浸かるという嬬恋流の冬の過ごし方をしていただけたらうれしいです」と笑顔で語られた。

 

津田 令子 氏

 社団法人日本観光協会旅番組室長を経てフリーの旅行ジャーナリストに。全国約3000カ所を旅する経験から、旅の楽しさを伝えるトラベルキャスターとしてテレビ・ラジオなどに出演する。観光大使や市町村などのアドバイザー、カルチャースクールの講師も務める。NPO法人ふるさとオンリーワンのまち理事長。著書多数。

「観光革命」地球規模の構造的変化(278) 無形文化遺産と観光

2025年1月3日(金) 配信

 戦後80年の節目を迎えたが、今年は内憂外患を抱えて多難の年になると予測されており、気分の重たい新年だ。されど新春を寿ぎたいので、昨年末にユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産にめでたく登録された日本の「伝統的酒造り」を取り上げたい。

 ユネスコは2003年総会で「無形文化遺産条約」を採択、06年から審査・登録に着手。これまでに登録された日本の無形文化遺産は23件。主な遺産は能楽、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎、雅楽、アイヌ古式舞踊、結城紬、和食、和紙、山・鉾・屋台行事、来訪神(仮面・仮装の神々)、伝統建築工匠の技、風流踊など。

 最新登録の伝統的酒造りは麹菌を用いて、蒸した米などの原料を発酵させる日本古来の伝統技術で、500年以上前にその原型が確立されたといわれている。ユネスコは日本の酒造りが「清らかな水と米や大麦などの穀物を保護することで、食料安全保障と環境の持続性に貢献する」と評価している。

 日本の酒造りは長い歴史を通して、それぞれの地域の風土や農業、文化の特性を生かしながら維持・発展してきた。さらに伝統的酒は地域の冠婚葬祭などの行事に欠かせないものであり、地域共同体の結束にも貢献している。

 ところが正に「2025年問題(超高齢化社会による深刻な働き手不足など)」に象徴される杜氏や蔵人の高齢化や後継者不足などの問題を抱えている。北海道・上川町の上川大雪酒造は帯広畜産大学との産学連携によって大学構内に酒蔵を設け、若者が酒造りを学び、関心を高める事業を展開している。

 若者を中心に「日本酒離れ」が進んでいるが、一方で海外では日本酒人気が高まっている。また「酒蔵ツーリズム」が好評を博すると共に、「酒蔵レストラン」が話題になり、家族で飲食を楽しむ機会が増えている。

 日本の魅力的な無形文化遺産は各地で貴重な地域遺産・地域資源として観光振興の面で大いに貢献している。知事の会や観光業界は協働して日本が世界に誇りうる多様な温泉文化の無形文化遺産登録を目指している。

 一方で杜氏や蔵人の高齢化や後継者不足に象徴されるように無形文化遺産の健全な維持・発展は容易ではない。観光業界をはじめ、各地における民産官学の協働による効果的な支援が求められている。

 

石森秀三氏

北海道博物館長 石森 秀三 氏

1945年生まれ。北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授、北海道博物館長、北洋銀行地域産業支援部顧問。観光文明学、文化人類学専攻。政府の観光立国懇談会委員、アイヌ政策推進会議委員などを歴任。編著書に『観光の二〇世紀』『エコツーリズムを学ぶ人のために』『観光創造学へのチャレンジ』など。

 

 

【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その45-四万温泉・日向見薬師堂&薬王寺巡礼(群馬県・中之条町) 世のちり洗う四万温泉 心身の健康回復へ祈りの寺院

2025年1月2日(木) 配信

 今回の旅先は「四万の病を癒す霊泉」と呼ばれたことから、その名が付いたという群馬県の北西部にある四万温泉。国民保養温泉地の第1号にも指定されました。四万温泉の歴史は古く、その起源は1000年以上に遡ります。

 伝説によりますと、源頼光の家臣であった碓井貞光は、この地で読経をしていました。すると、どこからともなく子供が出てきて「あなたの読経の真心に感心し、四万(よんまん)の病気を治す霊泉を与えよう」と告げました。これは、神様のお告げでした。夢うつつでお告げを聞いた貞光が目を覚ますと、そこに温泉が湧き出ていたと伝えられています。また、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が入浴したとも伝えられています。

 

 

 四万温泉は、四方を標高1000㍍超える山々に囲まれているので、訪れるだけで安心感に包まれます。泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩泉。なかでも、硫酸塩泉は皮膚病や創傷、神経痛、胃腸病などに効果的とのこと。

 江戸時代には、酸性泉である草津温泉で湯治をしたあと、四万温泉に寄り、肌を癒す湯治客も多かったといわれています。温泉街を流れる四万川の「水」のチカラが、よりいっそう私たちのココロとカラダを潤してくれるでしょう。レトロな温泉街を歩いていると、群馬県民の方々におなじみの上毛かるたの「よ」の札でおなじみの「世のちり洗う四万温泉」の札の看板に出会います。「世のちり洗う」とは、「浮世の憂さまで洗い流してくれる」という四万温泉を表現した言葉です。

 そんなレトロな温泉街でもぜひ訪れていただきたいのが、慶雲橋のたもとに建つ旅館「積善館」は、江戸時代の1694(元禄7)年に創業。長時間滞在して病気の治療や療養をするため、多くの湯治客が訪れたそうです。

 現存する日本最古の湯宿建築として知られている、老舗のお宿。ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルなのではと、フアンの間でも噂の素敵なお宿です。フォトスポットとしても最適であり、カフェや薬膳料理もいただけるお店も中にあり、ココロもカラダもほっこりします。

 

日向見薬師堂 お籠堂

 さて、精神性の旅先のまず1番目は、四万温泉のなかで最も古い日向見地区にある「日向見薬師堂」があります。その隣には「御夢想(ごむそう)の湯」という、夢から覚めた貞光が発見した温泉。日向見薬師堂も、貞光が建てました。薬師堂にお祀りされているのは、「薬師瑠璃光如来」。なかなか治癒しない病を癒し、苦しみから救ってくれるありがたい仏様のようです。

 かつて湯治客は、薬師堂の前にある「お籠堂」に泊まり込み、病の治癒祈願をしました。

 また、日向見薬師堂からすぐ近くにある「薬王寺」。その薬王寺の隣にある「つるや」というお宿は、以前は「鶴の坊」であり、1965(昭和40)年に薬王寺の宿坊として誕生。薬王寺は法華宗の寺院であり、「ご利益めぐり」をされると良いそうです。

 

薬王寺

 この寺院は、眼病や中風(脳疾患)除けにご利益があるとされています。ご利益めぐりは、まずお参りに来られた方は、本堂にいらっしゃる薬王寺の守護神である薬王大菩薩にお参りください。その後、青麻大権現がお祀りされている石塔を撫でることにより、カラダに力を授けてくれるようです。

 青麻大権現は、中風除け、眼病の神様として知られていました。はるか昔に、青麻大権現が四万温泉の中風、眼病に悩める村人を救ったことから、この地で中風除け、眼病の神様として崇められてきました。終わりに、この地に湧き出る薬王水を服すことにより、身体の健康回復のご利益をいただけるとのこと。

 交通アクセスは、JR吾妻線・中之条駅からバスで約40分。

 

旅人・執筆 石井 亜由美
カラーセラピスト&心の旅研究家。和歌山大学、東洋大学国際観光学部講師を歴任。グリーフセラピー(悲しみのケア)や巡礼、色彩心理学などを研究。

【特集No.664】2025年新春インタビュー 井門隆夫氏に聞く 旅館業の未来を考える

2025年1月1日(水) 配信

 大企業や外資から資本投下される都市部のホテルと、地方の過疎地域にある旅館との労働生産性の格差が拡大するなか、旅館の未来をどのように描くか。最多人口世代「団塊の世代」のための旅館サービスを50年間続けてきたが、今、まさにこの世代特有の旅のスタイルが終焉を迎えようとしている。國學院大學観光まちづくり学部教授の井門隆夫氏は旧態依然とした考えから離れ、新たな発想による価値転換と、「地域社会とのつながり」の重要性を語る。

【本紙編集長・増田 剛】

 

宿は地域社会の維持・再生を

 ――旅館の現状についてどのように見ていますか。

 宿泊業の労働生産性は日本経済と歩調を合わせて1970年代ごろからずっと上がっていました。しかし、1993年の金融制度改革法施行以降、とりわけ大企業に外国資本が自由に入ることが可能になったことで、資本金5千万円以上の大企業と、ほとんどが5千万円未満の中小企業である旅館業の労働生産性の格差が拡大してきました。

 大企業や外資から資本が投下される「都市部の不動産価値の高いエリアのホテルは稼げる」が、「地方の過疎地域にある旅館は稼げない」構図が明確化しており、同じ宿泊業であっても別業態と考えた方がいい状況になっています。

 オーバーツーリズムが話題になっていますが、過疎地を切り捨てて、都市部にのみ集中して新規出店する不動産投資がこの現象を生んでおり、「株主利益の追求」に行き着いてしまいます。

 一方、中小企業の大部分はオーナー企業であり、株主=経営者です。同様に誰のために生産性を上げるかを突き詰めると、「経営者(自分)の利益のため」となります。

 このように考えると、旅館の労働生産性向上を最優先させることが果たして正しいのだろうか。生産性を上げて、株主のために利益を伸ばし続けることだけがすべてではないと考えるのであれば、「地域や従業員のために還元した方がいい」と割り切るのも1つの考え方です。

 過疎地域にある旅館も新たな視点によって、これまでになかった需要を取り込む大いなる可能性を秘めています。地域の行政や金融機関などが一体となって理解が進んでいる観光地や温泉地には、新しい旅のスタイルに合致する旅行者がどんどん訪れています。 

 城崎温泉(兵庫県)や、天童温泉(山形県)などは……

〈旅行新聞1月1日号コラム〉――2025年の観光業界 「旅館の過ごし方」で新たな客層開拓を

2025年1月1日(水) 配信

 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、2025年の幕が開けたが、観光業界はどのように進むのか。本紙は新年号で毎年恒例の「観光業界トップの年頭所感」を掲載している。旅行業や宿泊業をはじめ、幅広い観光業界のトップが年初に当たり、抱負や目標、立ち向かわなければならない課題、業界が進むべき方向性などが示されている。

 25年は大きな天災や、国際情勢の激変などがなければ、訪日外国人旅行者数は順調に増えていくだろう。昨年12月18日、観光庁の秡川直也長官は、24年の訪日外国人旅行者数が3500万人に到達する見通しを示した。過去最高だったコロナ禍前の19年の3188万人を大幅に上回る状況で、25年は4000万人の大台が視野に入ってきた。

 一方、出国日本人数は24年1~11月の累計は1182万人と、2000万人を超えた19年比では6―7割程度の回復状況だ。今年は多くの日本人が海外旅行に出掛けられるような、明るい状況になればと願う。

 そして国内に目を向けると、国内観光の中核的存在・旅館は大変革期にある。本紙1面特集では、國學院大學観光まちづくり学部教授の井門隆夫氏に「旅館の未来を考える」をテーマに新春インタビューを行った。

 最多人口世代「団塊の世代」のためのサービスを50年間続けてきた旅館の時代が終焉しつつあり、井門氏は新たな発想による価値転換と、地域社会とのつながりの重要性を語った。「新たな発想による価値転換とはなにか」について、わかりやすく説明されているので、ぜひ熟読していただければと思う。

 最近は、旅館で「オールインクルーシブの宿」が人気を集めている。クルーズ旅行でも見られるシステムだが、滞在中の飲食やサービスなどが料金に含まれるため、その都度、支払いを気にせずにゆったりと楽しめるメリットがある。

 宿泊料金がリーズナブルな宿であっても、夕食時に注文したビールや子供たちのジュースなども高めに料金設定されていると、せっかく楽しい家族旅行も気分は醒めていきがちだ。一方、ビュッフェスタイルはソフトドリンクなども飲み放題のため、安心して飲食が楽しめるという点が人気なのだろう。

 さらに大きな傾向として、旅行者は旅館滞在中の過ごし方をとても重要視している。

 夕方バスで宿に到着すると、客室でのんびりする暇もなく浴衣に着替えて大浴場に行く。喉が渇いた状態で豪華な夕食膳をアルコールとともに宴会気分で盛り上がり客室に戻る。すると、布かれた布団の上で寝転がると眠くなり、朝早く起きて眠気眼で朝食をとり、バスに乗って出ていく――という従来型の旅行スタイルでは旅館は、流れに沿って料理を出したり、布団を敷いたりすればよかったが、それももう少数派になっている。

 今は15時にチェックインし、翌11時まで20時間滞在するため、館内でも客室以外で楽しめる空間が必要になる。予約が入る旅館の経営者は「滞在中に宿でどのように過ごしてもらうか」をしっかりと考え抜き、あらゆるメニューをそろえている。

 オールインクルーシブというサービスは、「旅館の過ごし方」を深く掘り下げていくきっかけとなり、新たな客層を開拓していく可能性があるとみている。

(編集長・増田 剛)

「観光人文学への遡航(55)」 追悼 三尾博氏(2)

2024年12月31日(火) 配信

 先月から日本航空の三尾博氏の追悼記事を連載している。名営業マンとして辣腕を振るった三尾氏は、激動の90年代に名古屋支店で課長を務め、直属の部下として私は薫陶を受けた。

 94年に関西国際空港が開港し、需給バランスが崩れたことで関西マーケットから旅行商品の価格破壊が起こり、それが首都圏に飛び火した。どちらも際限のない安売り競争になってしまい、旅行会社の倒産も相次いだ。 

 その中間に位置する名古屋も大いに影響を受け、関西発、成田発の安いツアーがマーケットになだれ込んできた。当時は、「AB―ROAD」が台頭してきたころで、中小のエアオン(Air Only)エージェントがなりふり構わず安いエアオン商品を販売し始めた。既存の旅行会社としても安くしなければ売れないから、我慢しきれずに安い価格に流れていきそうになっていた。

 そのたびに、三尾課長は旅行会社の支店長や仕入れ担当に電話をし、安売りの弊害を説いた。関西マーケットが安くても名古屋のお客様は関空には行きたがらない。名古屋空港から発着したいから、絶対に値段を合わせなくても売れると伝え続けた。

 結局安売りというのは、営業マンが、お客様ではなく旅行会社の圧力に我慢できなくなって下げているだけなのだから、絶対にふんばれると三尾課長は見ていた。だから、ずっと「島川、踏ん張れ」と言われ続けていた記憶がある。

 途中、全日本空輸が名古屋ホノルル線に再参入し、外資よりも安い価格で卸して来ていたときもあった。それでも、三尾課長は「日本航空が全日空に価格を合わせたら、彼らは絶対にまた下げてくるから、俺たちが踏ん張らなければいけないんだ」と値段を合わせることを認めなかった。

 今の感覚からするとめちゃくちゃだが、安売りをした外資系航空会社に電話をしたり出向いたりして、安売りするなと申し入れたりもしていた。

 「値段を安くするだけしか能がないのなら営業マンなんかいらない」もう論理も何もなかったが、それでも、結局、名古屋マーケットだけは値崩れはしなかったし、安売りが続く関空にお客様は流れなかった。こんな状況だったにもかかわらず、名古屋支店が主要支店では唯一販売目標を継続して達成を続けることができたのは、安易な安売りに流れなかった三尾課長の判断の賜物である。

 
 90年代は、旅行会社と航空会社はお互いに真剣勝負の駆け引きがあった。それまでは、元値が高かったから、安売りも需要喚起で機能することも多かった。それが限界まで安くなってしまったことで、消耗戦になっていた。それを見越して、もうかつてのような営業マンの顔で安くすることの不毛さにいち早く気づいた三尾課長の先見性は特筆すべきものである。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

「ZOOM JAPON(ズーム・ジャポン)(12・1月号)」

2024年12月30日(月) 配信

https://zoomjapon.info

特集&主な内容

 12月・1月の合併号では「大阪、万博の地」として、1970年にも大阪で開催された万博を踏まえ、2025年に開催される大阪万博を特集しました。終戦から25年の節目、高度成長期にあった日本で開催された状況から、さらに半世紀以上経って、衰退とはいえないまでも低迷し続ける現在の日本で開催される状況について、フランスの読者に解説しています。建築史家で大阪万博に深く関わっている大阪府立大学教授の橋爪紳也氏にも独占インタビューを行いました。1970年の大阪万博の唯一のレガシーといってもよい太陽の塔を取り上げたほか、2030年秋に万博の跡地で開業が予定されている日本初のカジノを含む統合型リゾート施設の問題についても解説しています。旅行ページでは、山形県の山伏と修験道を取り上げました。

〈フランスの様子〉フランスの寛容

「パリのノートルダム大聖堂の再開:過半数のフランス国民は入場料有料化に反対」仏版ハフポストのウェブサイトより

 パリのノートルダム大聖堂の再開、フランスではセレモニーが生中継で放映された。◆再開直前に話題になっていたのが、入場を有料にするという文化大臣の提案。将来的な修繕費や維持費に充てるというものだったが、カトリック教会側は「すべての人を受け入れる」という原則で反対した。◆今回の修復にかかった費用は7億ユーロと言われるが、世界中の34万の個人や団体から集まった寄付金は8億ユーロ以上。◆フランスの大富豪なども多額の寄付をしたが、大半はフランスのカトリック信者だといい、数十ユーロの寄付もあったそうだ。◆12月のフランスの街はお祭りムードになるが、この時期は寛容の季節でもあり、街に炊き出しがでたり、チャリティー番組があったり、さまざまな寄付も多くなる。◆クリスマスの家庭の食卓では、「貧者の席」とか「神の分」という追加の1人分を準備する習慣があり、実際に1人で過ごす人を招く家庭もある。◆日本のお正月は心を新たにするように、フランスの12月は人に優しくなる時期でもある。

ズーム・ジャポン日本窓口 
樫尾 岳-氏

フランスの日本専門情報誌「ZOOM JAPON」への問い合わせ=電話:03(3834)2718〈旅行新聞 編集部〉

「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(240)」 すでに起きた未来・炭鉄港(北海道)

2024年12月29日(日) 配信

そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター(岩見沢)

 12月初旬、北海道岩見沢を訪ねた。今年5年目となる日本遺産「本邦国策を北海道に観よ! ~北の産業革命『炭鉄港』~」のシンポジウムにお招きいただいた。会場には、空知の各市町や小樽、室蘭などからも関係者が多数集まった。

 この物語の発端は、遠く離れた薩摩(鹿児島)にある。島津氏第28代当主の島津斉彬公は、1851年に薩摩藩主に就任するや、「集成館事業」に着手する。反射炉から鉄をつくり、西洋列強に負けない近代造船を確立する近代的西洋式工場群のことである。1840年のアヘン戦争を契機とする西欧列強のアジア植民地化の危機への対応だ。

 集成館事業は、のちに近代日本の工業化に大きな影響を及ぼし、「明治日本の産業革命遺産~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」の世界遺産(2015年7月登録)につながっていく。全国8県11市に跨る広大なストーリーだが、ここには、集成館で学んだ薩摩藩士たちによる北海道開拓の歴史は含まれていない。

 北海道では、明治維新の翌年に開拓使が置かれ、初代長官に薩摩藩士の黒田清隆が着任した。10年後には幌内炭鉱が開坑、石炭は日本で3番目に敷設された幌内鉄道によって小樽港に運ばれた。

旧北炭夕張炭鉱模擬坑道(夕張石炭博物館)

 幌内鉄道はやがて北炭(北海道炭礦汽船)に払い下げられ、室蘭にも鉄道が敷設される。室蘭では1909年に輪西製鉄所の溶鉱炉が稼働、鉄の町室蘭の礎となった。

 やがて三井など財閥各社が進出、新たな大規模炭鉱開発も進められた。その後は戦時体制による増産と、戦後のエネルギー革命による合理化と衰退というドラスチックな変化を辿る。

 北海道は明治から昭和の高度成長期までの100年間に人口が100倍にもなる急成長を遂げた。この軌跡を描いたのが、空知の「炭鉱」、室蘭の「鉄鋼」、小樽の「港湾」、それらをつなぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた歴史、「北の産業革命」の物語である。

 事業を当初からリードしてきた友人の故吉岡宏高さん(炭鉱の記憶推進事業団元理事長)は、この物語の究極のモチーフを「すでに起きた未来」と語っていた。北海道の急速な発展と1960年代以降の凋落は、日本がこれから経験するであろう歴史を先取りする物語でもあると。

 故木村尚三郎先生(東京大学)は、ご著書「振り返れば未来」の中で、「自らの未来を拓くヒントは、その歴史の中にある」。だから、地域は固有の歴史を見失うと、自分たちの独自性やアイデンティティーを見失ってしまうと喝破された。

 社会が成熟し、ダイナミックな成長が止まった社会では、目先の違いに目を奪われ、未来への志向性が弱くなり、自らが歩んできた歴史を見失ってしまう。

 いまの日本もまさにそんな状況なのであろう。炭鉄港の物語は、そんな示唆に富んだ物語でもある。

(観光未来プランナー 丁野 朗)