2024年7月6日(土) 配信
ここまで半年にわたってライドシェアに対する疑問を提示してきた。もともとは、コロナ禍でタクシードライバーが離職し、タクシーが足りなくなっているからライドシェアを導入しようという話だったが、タクシードライバーは既に増加に転じている。局所的なタクシー不足をあたかも全国で不足しているかのように印象操作をして導入を急いだが、そろそろ化けの皮がはがれてきた。
タクシードライバーの不足よりももっと深刻なのが、バスドライバーの不足である。貸切バスも車両はあるのに稼働するドライバーがいないために受注できない事例があったり、路線バスの間引きがいよいよ始まったり、稼ぎ頭であるはずの都市間高速バスも減便を余儀なくされたりしている。タクシードライバーが「不足」しているからといってライドシェアを無理やり導入することよりも、バスドライバーを確保して、地域の足を守ることこそ、政治家として取り組まなければならない喫緊の課題である。
思えば、10年ほど前に、橋下徹あたりが、バスドライバーの年収が1千万円を超えていることをことさらに叩いていたことがあった。市民もそれに呼応し、大卒で1千万円もなかなかもらえないなかで、なぜバスドライバーが1千万円ももらっているんだと寄ってたかって叩いていた。
多くのお客様を乗せてスムーズに加減速し、狭い道や雪道でも安全に運転していくのは超絶技巧だと常に感じる。それをなぜそこまで叩くのか、当時から理解に苦しんだが、結局バスドライバーの給料がどんどん減らされたことで、なり手不足でこのような事態となった。
結局のところ、日本人の心の中に学歴至上主義が定着したことで、大卒が上、高卒は下と知らず知らずのうちに決めつけているからこういうことになる。
果たして、大学で学ぶ経験の有無はそこまで決定的な差を生んでいるのか、大学内部にいる人間として、そこには疑問符を付けざるを得ない。むしろ、大学に行くことで身に着くデメリットも多いように感じる。
大学に入るために、小さいころからテストの点での競争に明け暮れる。結局エリートと呼ばれる勝ち組は一握りであるにもかかわらず、そうでないボリュームゾーンの中でも、偏差値の高低で人の価値を判断する。そんなものは大した差ではないにも関わらず、18歳時点のテストの点だけでその後の人生が決めつけられる。そんな世の中が幸せなはずがない。
なぜこんな世の中になってしまったのか、私は戦後のGHQによる教育改革を無条件降伏のごとく受け入れたことに原因があるとみている。すなわち、複線型学校体系から単線型学校体系への移行である。この政策決定過程をここで改めてたどっていくこととする。
神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏
1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。