〈旬刊旅行新聞11月21日号コラム〉ヒガシヘルマンリクガメ―― 黙して語らず生きている姿に「癒し」
2021年11月20日(土) 配信
昨年末に我が家に来たヒガシヘルマンリクガメの亀吉氏は、今や家族にとって無くてはならない存在となった。
今年も新型コロナウイルスの感染拡大が繰り返し、ストレスを強く感じた。通常の年と比べて家で過ごす時間が増え、必然的にリクガメと遊ぶ時間が多くなった。
フローリングのリビングに放しているので、ノコノコと気が向いたら歩き出し、眠くなったらソファや、テーブルの下の隅で眠っている。
好物は温めたカボチャ。バナナも好きだ。タンポポの葉や、キャベツ、レタス、キュウリ、モヤシなども好んで食べる。ミカンやリンゴは、食べるときと食べないときがある。
こんもりとした手のひらサイズの丸い甲羅をさわりながら、私はテレビを観たり、読書したりする。そうすると、気持ち良くて眠くなるのか、下瞼が上がってきて、カメはいつの間にか眠っている。
トイレをした後など、1日に何度も専用のお風呂に入れたり、シャワーを浴びたりしているので、とても清潔である。
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私はもともと動物が好きで、犬や猫も好きだ。リスも飼っていた時期がある。
カメに比べると、犬や猫の方が知能も高く、感情が豊かなので、その仕草を可愛く思う。
リクガメを飼っていると、「懐くの?」と聞かれることがある。実際はよく分からない。ゴロンと横になっていると、遠くからノコノコと近づいてきて、体を摺り寄せてくることもある。「亀吉!」と喉が痛くなるほど名前を呼んでも、ちっとも反応しないこともある。ほぼ自分の生きたいように生きている。この心の距離感に心地よさを感じることがある。
これが犬や猫との違いだ。犬の場合、飼い主から名前を呼ばれたら、気が向かなくても近づいてきたり、お愛想で尻尾を振ったりする。私も犬を2匹飼っていた経験から分かる。
猫もポーカーフェイスで無視することもあるが、飼い主との“心の駆け引き”が存在する。
だが、私は最近、ペットとの間でも、人間同士のような細かな心の駆け引きすら煩わしく、必要性を感じなくなってきている。
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高度に複雑化した社会では、気配りや配慮が不可欠である。旅館業などは最たるものの1つだ。また、インターネットやテレビ、SNS(交流サイト)からも情報が過剰に発信され、受け取る側のキャパシティをはるかに超えている。
私は好き好んで、小さいながらメディアの世界の端くれにいるのだけれど、日々刻々とあふれるばかりに押し寄せてくる情報量の処理に疲れ果ててしまうことも時々ある。
そんなときに、私は家に帰って、お風呂に入り、麦焼酎「いいちこ」を氷で割って飲みながら、2億年も変わらぬリクガメの丸く愛らしい甲羅を撫でて、癒しを求めてしまうのだ。
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これからは天文学的なデータを蓄積したAI(人工知能)との付き合いも本格化する。膨大なデータをベースに、“正論らしきもの”を雄弁に語りだす。
一方で、黙って情報やストレスを吸収してくれる存在が希少価値化するはずだ。
リクガメの亀吉氏はこちらの話を聞いても分からないだろうが、黙して語らず生きている姿に、私は大きな癒しをもらっている。
(編集長・増田 剛)