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古民家を多様に活用 お茶と伝統工芸のまち八女 (モニターツアー)

2021年12月23日
営業部:後藤 文昭

2021年12月23日(木) 配信

茶畑の夕景

 福岡県八女市で12月4~5日、モニターツアーが行われた。

 八女市は伝統工芸と八女茶で有名な地域。同ツアーは、今後八女市に個人旅行客を誘致するうえで人を引き付けるポイントや課題を抽出する目的で実施した。

 茶畑や、古民家建物をさまざまなカタチで活用する八女福島、提灯や仏壇の工房などを巡りながら、人の思いにも触れる2日間の旅程を構築。五感で八女市ならではの魅力を体感した。

 八女福島は江戸時代初期には城下町として栄えた。その後「一国一城令」により福島城が廃城となったが町人地がそのまま残り、在方町として栄えた。

 町屋は土蔵造りが多く、江戸、明治、大正、昭和初期の伝統様式を見ることができる建物が150棟も連なっている。また、2002年には旧往還道沿いを中心に19・8㌶が国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。

 縁起物の「一富士、二鷹、三茄子」の意匠を散りばめていたり、「黒字」にかけて壁を黒くしたりと、縁起を担いだ内装が面白い堺屋(旧木下家住宅)の「離れ座敷」や、毎年8月13~15日には幽霊画を開帳する正福寺など、多くの見どころがある八女福島。

 地元の食材を中心にこだわりの食材を使用する「元気食堂 楽ZEN サヘホ」や、夕方には行列ができるという唐揚げやローストチキンなどを販売する「鳥藤」など、グルメスポットも充実している。

 UNAラボラトリーズが実施する「クラフトの町・八女福島の生業めぐり」では、地域の成り立ちや歴史を学びながら、八女福島の伝統的な仏壇作りを行う「緒方仏壇本店」と、1836年創業の提灯屋「伊藤権次郎商店」の見学が可能だ。

統一名称は大正から 名付けたのは許斐久吉

名称「八女茶」が生まれた「矢部屋 許斐本家

 全国的に知られる「八女茶」は、1423年に栄林周瑞禅師が明から持ち帰った茶の種をまき、製法を伝授したのが始まりとされている。その後、江戸末期に茶が輸出品になってから、長崎の貿易商らがアメリカ、イギリスに日本茶を直接輸出するようになると、同地方の茶も輸出商品として注目されるようになった。

  一方で一般的に「八女茶」という名称で呼ばれるようになったのは、1925年から。茶商「矢部屋 許斐本家」の9代許斐久吉が「八女茶」と名付けたのち、10代久吉 (当時の八女郡茶業組合長)が同地方の蒸製緑茶の特産化として「八女茶」の統一名称を提案し、満場一致で可決されたことでその名が広がった。同店では茶葉を炭火で焚き、丈夫な八女和紙の上で丹念に焙煎した「焙炉式八女茶」や「和紅茶」などを購入することができる。

 茶に関するさまざま体験を楽しみたい人には、八女市星野村にある「茶の文化館」がおすすめ。

 館内では、石臼を回して約2㌘の抹茶を碾く「石臼抹茶碾き」や、「手揉み緑茶づくり」、「ほうじ茶作り」など、さまざまな体験メニューを取りそろえている。

しずく茶体験

 同館ならではの体験「しずく茶」は、蓋つきの茶碗を用いて八女伝統本玉露を味わう。最初に本玉露の甘くまろやかな味わいをほんのひとしずくに凝縮し、感じる。その後お湯の温度を徐々に高めることで、味わいが変化していく様を楽しみ、最後に豊富な栄養が残る茶葉をだし醤油や岩塩などで食べる。

 このほかモニターツアーでは、広さが約70㌶ある茶畑「八女中央大茶園」の見学や、「星野製茶園」の山口真也氏(茶審査技術十段)によるお茶のレクチャーなどを通じ、五感で八女茶の魅力を学んだ。

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