「街のデッサン(250)」 動態型社会創造の時が来た、江戸の鎖国が齎した内発型活性化手法
2022年2月2日(水) 配信
この数年続くコロナ禍で、世界中の国々が自閉した時代を過ごした。いわば世界が疑似的鎖国をしている状況にある。感染者がワクチン接種のお陰で一時期減少傾向に入ったが、新株出現でまたぞろ増加に転じている。オミクロン株の強い感染力が鎖国状態を持続させ、国際交流も、インバウンド復興もお預けだ。
しかし、最近私は日本が江戸時代に試みた鎖国という世界でも珍しい奇策が、実は国内の経済や文化を活性化させた試みだったのではないかと考えている。アダム・スミスは「国富論」で、国の繁栄は他国との交易が必須と唱えているから、経済学的に鎖国は愚策であったはずだ。だが、実際には日本の鎖国が、国内の産業経済の活力を生み出し、日本型初期資本主義が大きく育ち、それらを基盤に文化や芸術も特異に開花した時代であった。その理由は、外に閉じたお陰で国内が「動態型社会」に移行したからと仮説が浮かぶ。
江戸時代は日本中の地域とそこに暮らす多様な階層の人々が、それこそ動き回った社会であったのだ。要するに江戸時代は、「静態社会」を超えて「動態社会」を生み出していた。それは人々が移動する社会制度や学び、遊び、祈り、体験(旅や観光など)といった仕組みや仕掛けが多様に生み出された内発アクティビティのデザインに鍵がある。
例えば、徳川幕府が制度化した「参勤交代」といういわば移住強要は、驚くべき動態社会を支える仕組みだ。藩と江戸を行き来する大名の集団的移動は莫大な費用が掛かっただろうし、その使われたお金の多くは宿泊費や兵糧、交通費として街道の各地の経済を活性化させた。さらに藩は資金調達のため独自の地場産業育成を進め、産業創造を競うようになった。江戸に滞留する大名らは中央と地方の文化的差異を生かし、江戸と郷里の両極に芸術文化を育む苗床を醸成した。
結局、大名らはお金を蕩尽し幕府に楯突く猶予もなく、世の中は平穏無事を保留した。一方、都市の町民や周辺部の農民らは、伊勢講や富士講など巧妙な金融策で長期の旅を楽しんだ。講で得る自前の旅であるから、臆面もなく羽目を外す自在な旅であっただろう。
パンデミックを乗り越える最大の叡智は、コロナウイルスとの親和性だ。その親和性のデザインは、弘法大師の四国の88カ所お遍路旅が秀逸だ。お遍路は個人が軸で集団にはならない。この散逸行動が辺鄙な島の経済と文化を共創させた。外に閉じても、個と自律分散集合の躍動する動態社会の実現に、現代社会が学ぶ点は少なくない。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。