〈旬刊旅行新聞3月1日号コラム〉ロシアのウクライナ軍事侵攻―― SNS時代には独裁者よりも“民衆の力”が強い
2022年3月1日(火) 配信
2月下旬も北日本を中心に寒波が襲った。そのようななか、私と編集部の木下記者はまだ暗い、夜明け前の東京駅周辺にある小さなレンタカーショップで小型車を借りて、東北道を北上した。
旅行新聞バイク部メンバーの木下記者とは、昨年8月に修行を兼ねた東北一周ツーリングを決行しており、半年後に再び東北道を走ることになった。
天気予報で大雪になることが分かっていたので、冬タイヤを履いて、雨に降られっぱなしだった夏のツーリングの思い出話などしながら、冬の高速道路の先を眺めていた。木下記者はバイクだけでなく、クルマの運転も抜群に上手いので、私は助手席でコーヒーなんぞを飲んで、取材の資料に目を通したり、ウトウトしたりした。
東北道は北上すればするほど、旅情がかき立てられる大好きな道路だ。盛岡を超え、青森に近づいてくると、次第に北海道の存在も感じられ、不思議な感覚を覚える。
今回の取材では、栃木県の那須塩原辺りで大雪となった。対向車線のクルマのボンネットやルーフに雪が積もっているのを見て、少し怯んだ。郡山付近では雪が止んだが、さらに北上すると再び雪が強くなっていった。福島県の最北端付近の国見SAで喜多方ラーメンを食べた。昨年のツーリングでも此処で同じ喜多方ラーメンを食べており、美味なるものは何度も繰り返し食べたくなるものだと感じた。その後、蔵王の中腹に向かって行ったが、道路が見えないほどの白銀の世界だった。
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結局、その日、東京に戻ったのは夜の9時半を過ぎていた。私は翌日、早朝から北陸の取材があったので、銀座の安ホテルで宿泊した。コロナ禍の銀座の夜の街は寂しかった。
翌朝、東京駅まで銀座通りを歩いた。祝日の早朝だったこともあり、銀座通りを歩く人はほぼいなかった。道路にクルマも走っていなかった。そこで私が感じたのは、街の清潔さだった。その理由はすぐに見つかった。銀座の街には、ゴミ一つ落ちていなかった。これは、比喩的に言っているのではない。1㌔ほどの銀座通りを歩いたが「ゴミは一つも落ちていなかった」のだ。こんな街は世界中のどこかほかにあるのだろうか。銀座の底力を見た気がした。
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マクドナルドでコーヒーのMサイズを買って、空席だらけの北陸新幹線に乗った。妙高や富山辺りでホワイトアウトに遭遇した。新幹線の窓からは何一つ見ることができなかった。視界が開け始めた金沢駅近くの民家も大雪で、トラックの真ん中まで雪が積もっている風景が広がった。「春の前の最後の寒波なのかもしれない」と思った。
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この取材の旅の間、ロシアのウクライナへの軍事侵攻が迫っていた。まさに”侵攻前夜”というべき時期で、刻一刻変化する情勢が気になり、スマートフォンで情勢を気にしていた。
24日にロシア軍の前世紀的な侵攻が始まり、原稿を書いている現在も首都キエフをはじめ、ウクライナ全土で激戦が続いており今後の行方は見通せない。
胸が塞がり、さまざまな思いもあるが、ただ、強く思うのは、SNS時代には、閉ざされた社会で強権を振るう独裁者が思うよりもずっと、民衆の力が強いということ。そして、「自分の運命(安全)は、他者の善意に委ねたくはない」ということだ。
(編集長・増田 剛)