〈旬刊旅行新聞3月11日号コラム〉複雑化した人間社会―― シェルター的な世界へ一時逃避も
2022年3月10日(木) 配信
イソップ寓話に「ウサギとカメ」の物語がある。ウサギとカメが競争をして、走るのが速いウサギが油断して途中で居眠りをしている間に、カメがゆっくりとウサギを追い抜いて勝つという、誰もが知っているストーリーだ。
「自分の能力を過信して油断すると、勝負に負けてしまう」「能力が高くなくても諦めず、地道に歩を進めていけば、最後には勝てる」などの文脈で持ち出されることが多い。この物語は擬人化され、アナザーサイドからの教訓めいたものも数多く散見される。
このカメのモチーフになったのではないか、と言われるいくつかの候補の1つ、ヘルマンリクガメを私は飼っている。だが、何というか、地道な感じは一切しない。歩みは遅く、すぐに途中で昼寝をしてしまう。ウサギとカメの悪い面を両方持っている。飼い主に似てしまったのかもしれない。
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うちのリクガメは人間との生活に慣れきってしまい、快適生活を送っている。サニーレタスやキュウリ、サラダ菜だけでなく、大好物のコーンや、カボチャ、バナナも食べさせてもらえる。カメ用のお風呂にも毎日入る。ふわふわの毛布の中で、眠ることができる。自然界のリクガメと比べたら、贅沢三昧であり、「キミはとても幸せ者である」と眺めている。
一方でカメにとって、文明の進んだ人間との快適生活と、自分を生んでくれた母親ガメや友人ガメ、恋人ガメとの生活と比べて、どちらが幸せなのだろうと、ときどき考える。
犬は人間に懐く。飼い主に可愛がられ、愛情を注がれると忠誠を誓い、飼い主を裏切ることはない。他の犬を見つけると、吠えまくる。「自分は人間社会の一員だ」という表情をする。犬は自分とは異なる人間の生活に合わせて暮らす方が、幸せなのだろうかと思う。
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高度な文明を持つ我われ人間だが、多くの人は人との付き合いに疲労を感じる。かく言う私もすぐに疲れてしまう。会社や学校などで、人間としか付き合わない生活が続き、何かをきっかけに不信感を持ったり、絶望したりすると、そのような世界から逃げ出したくなるのが一般的な感覚だ。
私はリクガメを飼い始めてから、リクガメとの世界や関係性をとてもありがたく感じている。言葉も通じないし、何一つ自分から意思を表明しない(ように見える)。それゆえに愛おしく思える存在でもある。
この地球上には、数えきれないほどの生き物が生活をしているが、普段コミュニケーションを取っているのは、人間だけだったことに気づく。とくに都市部で生活をしていると、朝起きて、寝る前まで会議があったり、メールでやりとりしたり、人との関係だけで1日が終わっている。
人が人から癒しをもらうことは基本的に難しいと私は思っている。人間同士の付き合いは複雑化し過ぎている。人間社会から逃避し、もう一つ別のシェルター的な世界があれば、救われることも多いと強く感じる。
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犬や猫、馬、鳥などと親密な関係を築いている人を見ると、人間同士では築くことができない、純粋な関係を別の生き物との間に持つことによって、もう一度人間社会の一員として頑張っていこうと、エネルギーや癒しをもらっているのではないかと思う。
(編集長・増田 剛)