「街のデッサン(252)」 そうだ、パリを着物で街歩き、日常の“生きる”を認証する試み
2022年4月2日(土) 配信
このコロナ禍の終焉が期待されるが、思うに在宅時間がずいぶん増えた。私などは日課にしている散歩以外、外出することが極めて少なくなった。同じような境遇にある友人・知人たちは、やることはなくなったと暇を弄ばせているが、幸いなことにそれでもやることは結構ある。このところビジネスする必要性が少なくなったのが有難いが、生きている意味を認証し支える作業は大切だ。ものを書き、講義のシナリオ作りなど思考を覚醒させる一部の時間は和服を着て過ごすことにしてみた。自分へのエンカレッジかも知れない。結果、着物を着るのが実に楽しい行為であることに得心したのだ。
私は一人息子として育った。母親は娘がいないことを生涯残念に思っていた。その最大の理由は、彼女が大の着物好きで娘の着物を選ぶ楽しみを享受できなかったからである。そこで、近所のお嬢さんが成人式やお嫁に行く段になると、我が家に呉服屋や反物屋を呼び、そのお嬢さんの母親と一緒になって着物選びを手伝っていた。このセレモニーには近所の女性群まで集まり、にぎやかな寄り合いになった。結局、その余波は私にまで回り、母親は私に大島紬や、山繭の極めて貴重だといわれる着物を仕立ててくれた。お義理に数回それらの着物の袖に手を通したが、実家が静岡の私は東京の大学で学ぶために上京し、和服生活には縁がなくなった。
しかし、このパンデミックの事態で突然私は着物を思い出し、ゆっくり暮らしを楽しむホームウェアとしての和服着用を発想したのだ。その背景には、例えば小津安二郎の家庭を描く一連の映画の残像があって、主役の笠智衆が帰宅すると早速着物に着替えて寛ぐというシーンが戦後の平和なイメージとしてあったからかもしれない。
長い間仕舞われていた山繭の紬を引っ張り出してみると、その柔らかな深い藍色に感動し、苦労して着付けると体にしっくりくる着心地に日本人だと腑に落ちた。着物は人間を解放してくれると、普段着用をネットで探すとデニム生地でアンサンブルがそろうようになっている。さらに、羽織に緑と紺のチェックの柄を見つけて手に入れた。人気の鬼滅の刃の竈門炭治郎のスタイルだ。これでまた、在宅ライフの行き場のない人生を彩ってくれると、自閉も孤立も炭治郎のように切って捨てることになる。着こなし始めると、勿体ないと近場のレストランや文化施設に外出し始めた。今では外国へもと、最近手に入れた結城紬でパリを街歩きし、衆目を集めたいなどと野望を抱いているのだ。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。