「“引き揚げ”の記憶」、京都・舞鶴から世界へ発信
舞鶴引揚記念館所蔵の資料、来年の世界記憶遺産登録目指す
京都府舞鶴市は、舞鶴引揚記念館が所蔵するシベリア抑留や引き揚げの資料が今年6月、ユネスコ世界記憶遺産の登録候補となり、来年5月ごろの登録決定を目指している。
同市は、1901(明治34)年の舞鶴鎮守府の開庁以来、日本海側で唯一の軍港都市として発展してきた。
1945(昭和20)年の第2次世界大戦の終結後、海外に残された約660万人の日本の軍人や民間人を速やかに日本に帰国させる“引揚事業”が国の事業として始まる。45年10月7日、韓国の釜山から最初の引揚船が入港。旧ソ連や朝鮮半島、旧満州(現・中国黒龍江省など)からの復員や引揚者を受け入れる。50年以降は国内唯一の引揚港として、58(昭和33)年9月7日の最終船まで13年間にわたって約66万人と、1万6269柱の遺骨を受け入れてきた。とくにソ連・ナホトカ港からの引揚者が多く、最終的にはソ連領からは全体の7割近い約46万人を受け入れた。このため、市営の舞鶴引揚記念館(1988年開館)には、全国のシベリア抑留体験者から多くの関連資料が寄贈され所蔵されているのが特徴。館内には、衣類や生活用品、手紙など当時の貴重な資料や、体験者の記憶で描かれた絵画など現在、約1万2千点を所蔵し、来年開館25周年を迎えるという。
一方で、時代とともに戦争を知らない世代も増えており、引き揚げの史実は「過去の出来事」として年々薄れているのも事実。舞鶴市は13年度から、市内の小学生が来館する社会学習も開始し、次世代に「平和の尊さ」を伝え、国内だけでなく、世界にも広く発信していくことに力を入れている。
ユネスコ世界記憶遺産は、文書や書物、楽譜、絵画、映画などの記録資料が対象。「アンネ・フランクの日記」や「ベートーベンの手書きの楽譜」など、現在世界で245件が登録されている。日本では、2011年5月に福岡県田川市が申請した筑豊の炭鉱記録画など697点が国内第1号として登録されている。
9月5日には、同市から岡野昌和東京事務所長と、産業振興部観光振興係の松岡恵美さんが本紙東京本社を訪れ、来年のユネスコ世界記憶遺産登録を目指す取り組みや、近年「赤れんがと海・港のまち」を発信する舞鶴には、大型クルーズ客船が入港し、多くの外国人旅行客にも人気を得ていることなどを紹介した。「14年には、ダイヤモンド・プリンセスやコスタ・ビクトリア、飛鳥Ⅱなど15回の寄港が予定されている」(松岡さん)という。