「街のデッサン(253)」 いま一度、「易経」で観光を考える、ツーリズムの本源とは何か
2022年5月8日(日) 配信
文明開化以前の日本の知の歴史で識者の多くが学んだのは、四書五経と呼ばれる中国の古典だった。四書とは「大学」「論語」「中庸」「孟子」であり、五経は「詩経」「書経」「礼記」「易経」「春秋」だ。支配階級や学識者の家庭では、子供時代からこれらの古典を素読し、暗記することが教育の基盤だった。
近年、渋沢栄一がテレビの大河ドラマや1万円札の顔になり衆目を集めたが、「論語と算盤」が彼のお題目だった。渋沢は、武蔵国(現埼玉県)血洗島の藍を扱う豪農の出身だったが、親戚筋に学者が多く、やはり幼いときからこれらの古典に親しんでいただろう。それらの学習が役立ったのは、日本の資本主義の父と言われ、経済社会での欲望をコントロールする道徳のようなものが不可欠だ、と認識していたことである。この哲理は、経済学の始祖とされるアダム・スミスの思想と同一で、日本の健全な資本主義の軌道を描いた渋沢の存在は崇高である。
一方で注視が必要なのは五経の中の「易経」である。「易経」は実に面白い古典だ。「論語」は孔子の教えを、弟子たちがまとめた人間の「仁」を高める言行録であるが、「易経」の出自はそのタイトル通りに「占い」の本だ。占いは、私たちが判断に迷ったときに頼りにするものだ。従って、権力者が争いの戦略選びや勝敗の行方を占い、商人たちが商売の盛衰を占うのに使ったと推察できる。
しかし、この書物の本質は、実利的ではあるが地球社会の自然の摂理に倣った物事の「動態(変化や推移)」の「構造」を読み解く書物である、と多くの易経を解説する本から私が得た結論である。街の凹みにいる占い師が手相を見て、あなたの将来はこうなりますよと断定するのとは違って、易経は宇宙の原理である陰と陽の大極を見据え、これまでの人類や社会にストックされた経験知と集合知を駆使し、書を紐解く人が自らの運命を切り拓いていく引導の書であるのだ。
ここでは、その実に驚くべき設計と使い方を解説する余裕はないが、私たち観光関係の研究者や実利者が引用する易の20番目の卦「風地観」の4番目の爻(こう)である「国の光を観る」から、誰しもが語る「国の宝を見せるのが観光」という呪縛を、超克するときが来ているように思える。この卦には、観音菩薩の「観」と同じく「人生を深く愛し洞察する生き方」が秘められていて、「観光」がUX(ユニバーサル・トランスフォーメション)に直面している現在、大いなる道標となるべきものである。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。