「観光人文学への遡航(23)」 利他性のジレンマ 福祉から宗教へ①神道
2022年5月21日(土) 配信
福祉関係者の方々とお話をすると、お客様に裏切られるという感覚がないことに気づく。なぜホスピタリティ業界の従事者が至れていないその境地に福祉関係者は至れるのか。
それは、相互信頼関係でよく出てくるキーワードである「利他性」という言葉ではなかろうか。福祉施設での対応はもちろん他者のためにサービスしているのだが、福祉施設の対応と「利他性」という概念には結びつかない。それは、「利」をどちらに分配するかという発想が福祉にはないからではなかろうか。
利他性がいわれるときに必ずセットになるのが、他人のためにやった行為は必ず自分にも返ってくる。だから人のために尽くしましょうなんてことになる。でも、それって結局自分のためにやっていることになる。自分の利のために、戦略的に「誰かのために」をやっているに過ぎない。
その意味で、相互信頼関係も、まだ相手を「対象」として自分とは一線を画して見ている。一方、対象ではない、相手はすなわち自分であり、すなわち、お客様と自分とは「一体」であるという考え方こそ、福祉施設において実践されている考え方ではなかろうか。
この考え方は、福祉だけでなく、宗教を紐解いたときにも触れることができる。
神道では、神社をお参りするのは、本来は願い事を叶えてもらうためにお参りするのではなく、本来人間にはないはずの醜い心、人を疑う気持ち、うらやんだり嫉妬したりする気持ち、それらを異心(ことごころ)と呼ぶが、異心が自分の中に出てきたと気付いたときに、人間の根本に立ち戻って、その都度祓(はら)うために神社にお参りするのである。祓ってもらうことで、自分の中にある本来のあるべき柱を取り戻す。そのあるべき柱とは、天孫降臨として理想郷である天上界からこの地上も同じように理想郷にするという志と使命感を持って降りてきた私たちの祖先の神々は、神与の「清らかな心」に軸足を置いて我欲我見の異心を祓いながら国づくりをしてきた。
国づくりで最もハードルが高いのは、なによりも自我の制御であり、私たちの祖先はその重要性を認識し、日々天つ神の「清らかな心」と一体となることで、自らを律してきた。天皇陛下も三種の神器を持つことで、天上界から降臨してきたその当時の神々の想いと一体となり、常に国民とともにあり、国民の平和と安寧を祈るという意識を持ち続けることから、私たち国民も天皇陛下とともにあり、そして、ひいては天つ神とともにあるという意識を持つことにつながる。
すなわち、「祓え」とは、天上界から降臨してきた神々と現代を生きる私たちが一体であり、私たちの本質もまた神性のものという確信から行われるのであり、この信仰こそが神道の根本なのである。
神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏
1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。