「街のデッサン(254)」 ボブ・ディランは旅を続け、歌う、不条理と混迷の時に想うことは
2022年6月5日(日) 配信
科学技術が発達し、ITが人間の知能を超える未踏社会が到来している。それでも、宇宙とは何かを明らかにしたのはアインシュタインという超天才の頭脳であるし、生命はどう育まれてきたのか、どうして人間という種が生まれてきたのか、これもまたダーウィンの「種の起源」を起点とした叡智が明らかにしてきた。人類が直立歩行を獲得し脳ミソを増やし、他の星に在るかもしれない文明を凌駕していると想起できるのに、いま地球上の現実社会を見てみると不合理で不条理な事態に満ちている。
他国の領土に理不尽に踏み込んで、演習にやってきたと思っていた兵士たちが何の理由も罪もない市民を砲撃しているのだ。いわれなき、大儀なき戦争が、その国の独裁者によって何の呵責もなく遂行されている。高度に組み上げられた叡智の中身はまさにスッカラカンで、良心も正義も善も、哲学も虚空である。
私はかつて口ずさんでいた歌をいま再び何気なく歌っている。私が若かった時代にも戦争が行われていた。地球上の多くの人類、民族が平和を心の真底から願っていた時代だ。
その歌とは、ボブ・ディランの「風に吹かれて」である。ボブ・ディランは別にゴリゴリの反戦家ではなかった。その時代に生きる人間として息苦しかったのだろうと思う。フォーク歌手としてスタートし、カントリー・ソングやロックに影響されながら、ごく普通の人間としての信条を歌い続けてきた。だから流行歌手でもない。
私には、ボブ・ディランが「吟遊歌人」に思える。そうでなければノーベル賞など貰えなかっただろう。無論、貰う必要もなかったはずだ。日常的に歌詞を発想し、曲を創り、何歳になっても歌い続けることができればよかったのだ。齢がいっても旅(コンサート)を止めずにネヴァー・エンディング・ツアーと呼んでいるのはそのためである。
しかし、世の中には理解不能な輩がいる。自国の経済が破綻しようと、長い歴史の中で築かれてきた文学や音楽、バレーなどの貴重な文化芸術財を崩壊させようと、国民の矜持を何百年先まで回復させることができなくても、戦争を仕掛け終えることのない輩である。
ボブ・ディランは今でも旅をしながら歌っている。「戦争が無くなるまで、どれほど砲弾が飛び交えばよいのだろうか、その答えは風に吹かれている」と。そして、全世界の人々がいまやボブ・ディランの想いに同じく、風になって戦争を止めにいかなければならないと念じているのではあるまいか。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。