「街のデッサン(255)」 「人生、知を学ぶ遍歴」、泉眞也先生の想念の渦に溺れて
2022年7月3日(日) 配信
人生の中で、自己の叡智や知識をどう磨いていくかは創造的生い先の鍵となる。私自身は4つの遍歴を積んできたと考えている。
まずは宇沢弘文先生が主張する「制度資本」としての国家的な教育体制だ。すなわち小学校から大学までの教育機関で、この資本の品質が国家の存亡を決定する。しかし、制度はしばしば画一化する。そこで、その人の個性や独自性は読書からの成果が大きい。書籍は独自の選択眼に拠るから固有の知を増殖させる。同時に大切なのは物事の現場である。現場が課題、問題を生み出すから、洞察する実践知は現場がその涵養の場となるが、基盤的なエピステーメ(本質知)は、やはり人間から直接学ぶことしかない。叡智の学びの遍歴は、「真の師匠は、自分で決める」が最終段階となろう。イタリア最古のボローニャ大学では、もともと市民が人品を選び講師として招聘したとするから、大学の原型は本来学び手(生徒)主導であった。
例えば私は、文章術は大宅壮一の高弟で政治評論家であった草柳大蔵先生から指導を受け、経済学・経営学は「ベンチャービジネス概念」の生みの親、中村秀一郎教授と清成忠男教授から、歴史学は中世西洋史の木村尚三郎教授から学び、博覧会学とイベント学は泉眞也先生から教示された。それらは、雑誌の対談やシンポジウムのパネラーなどを務めた際に縁をいただいて私淑することになった。勝手に私からかばん持ちになって、“一人生徒”の立場を得ていたのだ。
師匠の1人(むろん私が勝手に自得する)泉眞也先生が、今年1月2日にこの世をおさらばなされた。泉先生は、日本の近代に開催された万博、海洋博、科学技術博、愛・地球博などのほとんどに関わっており、博覧会という人類文明の叡智の開示と進歩に大きな業績を残した。「全国ファッションタウン推進協議会」の会長も務めていて、委員の私も随分お世話になり厳しい訓戒も受けた。日本人のプレゼンテーション下手は通念になっているが、泉先生はその自己表現や情報伝達において、驚異の力を発揮された。演壇でのプレゼンの姿は、観客を魅了し話術に恍惚となった。
一人生徒の私も、名前の通り“いずみ”の如く先生の頭脳から生み出された構想や概念、ワードで渦巻く想念に溺れそうだった。5月に「泉眞也先生に感謝する会」が開かれた。会場の150人の出席者がその知の濁流の凄まじい流れを、先生の笑顔の溢れる写真パネルの前の私だけでなく、一人生徒として追憶する姿を大勢見る思いがした。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。