【特集No.616】お花見久兵衛(石川県) 価値あるコンテンツづくりへ
2022年8月1日(月) 配信
高品質のおもてなしサービスを提供することで、お客の強い支持を得て集客している宿の経営者と、工学博士で、サービス産業革新推進機構代表理事の内藤耕氏が、その人気の秘訣を探っていく対談シリーズ「いい旅館にしよう! Ⅲ」の12回目は、石川県・山中温泉「お花見久兵衛」社長の吉本龍平氏が登場。若い世代は「価値や意味があるものには金を出す」傾向を踏まえ、リニューアルによって滞在中に楽しめる空間づくりを目指す吉本社長と内藤耕氏が語り合った。
【増田 剛】
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――宿の始まりから教えてください。
吉本:山中温泉街の中心部で10室未満の小さな宿「吉本屋」を営んでいました。1933(昭和8)年の大火で被災し、その後、祖祖父が地元の何人かと共同で宿を始めました。58(昭和33)年に現在の地で、木造80人収容の旅館「山水閣」を建てました。
84(昭和59)年には64室約300人収容の鉄筋コンクリート造に建て替えました。バブル期の団体旅行全盛期だったので、団体客向けに規模を拡大しました。
バブル崩壊後には個人化に対応するため、2部屋を1部屋にまとめ、露天風呂付き客室などに改修し、現在48室です。02年には館名を「お花見久兵衛」と変えました。
内藤:代替わりをしたのはいつでしたか。
吉本:私が旅館に戻ったのが2004年10月で、社長になったのは12年5月です。
東京の大学を卒業後、1年半ほど名古屋で営業職を担当していました。すると、04年7月に女将(母)から「旅館の経営がピンチだ」という電話があり、会社を辞めて宿に戻ってきました。
――どのような状況でしたか。
吉本:個人化への対応の遅れや収益構造自体に問題を抱えていました。当時メインバンクの石川銀行が破綻し、債権がすべてRCC(整理回収機構)に行ったこともあり、厳しい状況になりました。
社長に就任する直前の12年2月に「中小企業IT経営力大賞」で、優秀賞をいただきました。当時、先駆けてホテルシステムを導入したほか、旅行会社に頼っていた販売チャネルを、インターネットを活用して自社公式サイトや、OTA(オンライン旅行会社)に切り替えました。営業体制や内部のオペレーションについても、例えば、紙の台帳で管理していたものをデジタルに移行しました。
経営状況は、優秀賞を受賞した12年からも、じり貧状態を打開することが上手くできませんでした。バブル後では、10年に売上のピークを迎えたのは、そもそも他よりも早くネット上で販路開拓をしたことで瞬間的に先行者利益を得ただけでした。
若女将(妻)は2年間、子供が小さかったので休職していましたが、コロナ禍の20年4月に現場に戻ってきました。厳しい経営状況を確認し合い、「根本的に改革しなければコロナ禍を乗り切れない」ことを話し合いました。内部の事務的な部分を含め、「利益が出せる体質に見直す」必要性を感じました。
内藤:具体的にはどの部分を感じましたか。…
【全文は、本紙1876号または8月5日(金)以降日経テレコン21でお読みいただけます。】