「観光人文学への遡航(26)」 空海の求道の旅②
2022年8月21日(日) 配信
松下幸之助はリーダーの条件として、「運」と「愛嬌」のある者と表現した。とくに運の強さを強調し、松下政経塾の面接でも、本人に「君は運は強いほうか」と尋ね、強いと答えなかった候補者はほかの成績がいくら良くても採用しなかったという。
空海はものすごい強運の持ち主である。まだ若い修行僧の身分であるにもかかわらず、遣唐使に抜擢されたこと、唐への道中、悪天候により、遣唐使船団4艘のうち2艘が遭難したにもかかわらず、空海の乗った船はなんとか唐に辿り着いたこと、恵果阿闍梨という素晴らしい師匠に出会え、恵果阿闍梨が持つ密教の奥義をすべて伝授してもらったことを先月紹介したが、今月もまたそんな強運のエピソードが続く。
恵果阿闍梨は自らの死期を悟り、空海に対して、伝えた密教を早く日本に帰って伝道せよと命じた。そして、死んだら今度は日本で生まれ変わって空海の弟子になろうと言った。そうやって永遠に生まれ変わり続け、互いに弟子になったり師匠になったりして、密教を伝え続けていくということを約束した。最高の師弟愛だ。
空海はもともと無名の留学僧なので、20年唐で学んでくるという約束で遣唐使船に乗せられた。それを1年半でもう帰るというのだから、もしかしたら帰国後に咎められるかもしれない。だが、恵果阿闍梨との約束を果たさなければならないとの使命感のもと、ちょうど次の遣唐使船団がやってきたので、それに乗って帰ることにした。
ここでもまた空海の運の強さが見て取れる。ちょうどいいときに次の遣唐使船団が来たということがまず挙げられるが、このチャンスを逃していたら、その次の遣唐使船団が唐に入るのはなんと30年後になるそうである。このタイミングであれば、空海は唐で寿命を迎えていることになり、日本に密教は伝わらなかったかもしれない。
そして、空海の乗った船は無事、筑紫に到着する。本来は20年のところ、わずか1年半で帰ってきたため、平安京に戻ることを許されず、太宰府の観世音寺に留め置かれた。
1年後、和泉に移され、晴れて真言宗という新しい宗派を開くことが許されるのである。それからの空海の活躍は、若い嵯峨天皇の応援もあって破竹の勢いであった。
最新の脳科学では、運というのはたまたまなのではなく、確実に運を引き寄せる人がいるという。運のいい人は、理屈や論理で決断するのではなく、感性で決断する。その感性での決断は、単に思いつきや行き当たりばったりのように見えるけれど、実は脳はものすごい情報を瞬時に処理して、総合的に決断を下している。
空海は一瞬一瞬に、何億年にもなる生まれ変わりの人生を凝縮させて決断をしているのだなと感じる。
神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏
1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。