「提言!これからの日本観光」 鉄道開業150年
2022年10月13日(木) 配信
今年は1872(明治5)年日本の鉄道が開業してから150年の記念すべき年に当たる。
鉄道の開業は近代国家への脱皮を目指す当時の日本にとって国の社会経済発展を推進する重要な第1歩となった。鉄道開業に備えて国の欧米政治経済視察団の派遣をはじめ、多くの人々が欧米の鉄道研究、施工、運行技術習得に渡航した。とくに鉄道先進国であるイギリス人専門家などから、設計、施工、運営全般に渡り指導支援を受けたと聞く。
開業時、鉄道の機関車、客車はすべてイギリスから輸入された。機関士もほとんどイギリス人が当たったという。明治生まれの人は当時「駅」のことを日常ステーション、ないしステン所と呼んでいた。またきっぷの様式をはじめ営業諸制度などもイギリスの影響を強く受けた。
レールの左右幅が1067㍉の狭軌であったのも当時の日本の国力からみて、イギリスの海外領土の鉄道規格を導入したからといわれている。(欧米は広軌―標準軌1435㍉。日本では新幹線と貨車運行のなかった都市圏の民鉄・地下鉄などは広軌)
開業後日本の鉄道は外国の鉄道技術経営方式を巧みに受容消化し、これに日本独自の鉄道技術、経営方式を開発付加しながら発展した。そして、人口密度が高く面積狭小で複雑な地形の国土に適合した、いわば日本式の鉄道システムを官民が連携して短期間につくりあげたのである。開業僅か30年後に国内に1万㌔余りの鉄道網を完成。それも国営と民営がほぼ同規模であったことはまさに国を挙げて近代鉄道の建設に取り組んだ成果であった。
明治末年までに鉄道国有法により大都市圏の一部を除く幹線とその関連路線が国有化され、日本の鉄道は国営中心の時代を向かえ、国力増進の原動力として、一段と大きい役割を果たした。
しかし戦後の経済変動期には経営に制約の多い国営のため経済情勢への対応に遅れをとった。そのため経済成長への過程で航空、自動車などの発達のなかでその使命を円滑に果たすべく鉄道事業は遂次、民営化され、国鉄もJRに分社近代企業として再出発するに至る。この間、世界最速の時速300㌔を指向する新幹線の開発に成功し、動力近代化も実現。車両にも新技術を結集、近代的高速鉄道システムに脱皮することができた。
一方発展途上国の高速鉄道建設に協力を求められるケースも目立つ。新幹線の成功で日本も鉄道先進国として認知され、鉄道による国際協力の輪に加わることができた。
そして、新幹線の技術と運営システムをかつての鉄道先進国アメリカなどへの輸出を検討するまでになった。JR東海でも工事中の「超電導リニア」も含め、近代鉄道技術を輸出し、世界の次世代高速鉄道建設に貢献すべく、社内に海外高速鉄道プロジェクトC&C事業室が発足するに至った。このような鉄道国際化の動きのなかで、開業150周年を迎えたことは誠に感慨深いものがある。
日本商工会議所 観光専門委員会 委員