「街のデッサン(260)」 小さなミュージアムを旅する、画家と対話するインテリジェントツーリズムは
2022年12月6日(火) 配信
その小さなミュージアムは街外れにあった。かつて、美術館やミュージアムは都心や駅前にあるべし、さもなければ閑古鳥の鳴く施設になってしまうと言われた。確かに行政が市の文化政策として国費を引っ張り出して建てたような館であれば市民から文句も出よう。しかし、この画家のために建てられた個人所有のミュージアム(三栖右嗣記念館)は、中心市街地と住宅地の狭間、川越氷川神社に隣接している。駅から距離感があるが徒歩は可能。
三栖右嗣氏の夫人・尚子(しょうこ)さんとは、妻の友人を介して近しくなった。三栖画伯についてはワイエスの「クリスティーナの世界」に通底する愛と哀しみの端正な写実作家、といったイマージュしかなかった。しかし、愛と哀しみは混迷する現代社会の主題ではないか。作品を観てみたいという想いは募った。
美術館は、ヤオコー社長の川野幸夫氏が、創業者である母親が三栖の作品「コスモス」に感動し購入したことをきっかけに、主要な油彩、リトグラフなどを収蔵して誕生した。設計は伊東豊雄、田の字型のプランを持つシンプルな1階建て。ラウンジは市民に開放されてコンサートにも使われ、コミュニティ拠点となっている。
初秋、友人から「尚子さんから連絡があって、ご案内しますから記念館にどうぞ」と連絡があった。気功仲間9人が、週末の川越を遊歩。その日は市の市政100周年前日に当たり、蔵造りで有名な目抜き通りは観光客であふれていた。記念館はその喧騒からも離れて、静かに佇んでいる。
尚子さんに案内され記念館の展示室に入る。最初の展示室に代表作が連なっている。「三栖」が内在させる多様性と作品間の重層的な意味が共創し、作家の思想の迷路を直感させる。籠に入れた「コスモス」の豊饒でしかも清楚な1枚、三栖自身の若き自画像、母親を描いたまさに赤裸々な2枚「老いる」と「生きる」。どう読み解いたらよいのか。輻輳する難問。隣室の入口脇に「爛漫」を見た。垂れる桜に母と子の命の交流が包まれる。「コスモス」とは「宇宙」のメタファーである、と不意に想った。三栖は、その壮大なドラマを宇宙の連続性(生命)として描こうとしている。彼を巡ることは宇宙を旅することに同義だ。
宇宙は「無」から始まり、「無」に帰る。しかしそこには実在としての「命」があり、無意識の発揚が「物語」を生む。「物語」とは人の「生きよう」だ。次回訪問は行き帰り歩きながら思念しよう、と駅まで送ってくれる尚子さんの車に乗り込んだ。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。