〈旬刊旅行新聞1月1日号コラム〉2023年を迎え――価値観の多様性により強靭さを備える
2023年1月1日(日) 配信
コロナ禍も3年を迎え、ようやく長いトンネルを抜け出せる気配を感じている。
22年は、世界中が新型コロナウイルスの終息に向けて悪戦苦闘している最中の2月、ロシアによるウクライナ侵略戦争が勃発した。短期的な決着を目論んだロシアの思惑通りにならず、長期化の様相を呈してきた。CO2削減など、世界が協調してサステイナブルな環境問題に真摯に対峙しているなかで前世紀的な侵略戦争に踏み切った。23年も地球規模のエネルギーや食糧不足にも大きな悪影響を与えるだろう。
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世界を見渡しても、新しい価値観を生み出し、洗練された文化を創造する国は輝かしく映り、尊敬の念を抱くが、各国が足並みをそろえて前進しようとする本流とは逆行している感が否めないロシア。プーチン大統領に対して、インドのモディ首相が「今は戦争の時代ではない」と直接苦言を呈したが、世界中の多くが同様の思いを抱いているはずだ。
民主主義国家はさまざまな民意を汲み、多数決によって意思決定をしていかなければならない。これと比べて、専制主義国家は迅速な判断が可能なため、民主主義政治の限界がクローズアップされた時期も一部で見受けられたが、どうやらこれから数年のうちに、情報や民意を統制する専制主義国家の脆弱さを目の当たりにするかもしれない。フランス革命という人類史上最大の転換点以降、多少の逆戻りはあるにせよ、今後も人権が広く保障される方向に流れていくことは間違いない。
民主主義国家では、さまざまなメディアやSNSを通じて情報に溢れ、価値観のぶつかり合いも日々行われている。その複雑多岐な世界にどっぷりと浸かれば、心身ともに鋭敏になり疲弊するが、文化は洗練されるし、価値観の多様性によって社会としての強靭さも備わる。一方、情報を統制し続ける社会では、時代を読み解く力が鈍くなり、大きな変化には脆弱になる。
頑なに「ゼロコロナ政策」をとってきた中国も揺らいでいる。年末に北京や上海などのデモを受け、緩和へと大きく舵を切った。もはや中国共産党が人民の行動や発言の自由を縛り付け続けることの限界点を迎えた瞬間だと感じ取った。
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22年は11月から12月にかけてカタールでサッカーワールドカップが開催された。日本以外の国の試合もたくさん観たが、私は欧州の強豪国と死力をかけて戦う同じアジアの国に、より強い共感を覚えた。日本代表はやや上から目線的なドイツやスペインを相次いで撃破し、その意味で爽快であった。そして約1カ月におよぶ熱戦を制したのはアルゼンチンだった。
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アルゼンチンのサッカーはずっと前から好きで、日本代表が敗退すれば応援してきた。マラドーナやメッシなど天才を生み出すため、どうしても彼らに注目が集まるが、アルゼンチンのサッカーは一言でいえば、泥臭い。スペインやフランスのように華麗ではなく、ブラジルのようなダイナミズムもない。
欧州の強豪国相手には試合を支配され、押し込まれる時間帯も多い。しかし、守らなければならない場面ではユニフォームを真っ黒に汚しながら必死に走り、無様にしぶとく守り抜く。そこに本当の強さを感じる。
何はともあれ、新年を迎え、しぶとく生きていきたいと感じている。
(編集長・増田 剛)