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「観光人文学への遡航(31)」 秘密曼荼羅十住心論③

2023年1月27日(金) 配信

 
 空海の秘密曼荼羅十住心論は、人間の心を十段階に分け、低い段階から高い段階へと向上するようすである。昨年11月からこの秘密曼荼羅十住心論を読み解いている。

 
 ここまで読み解いてきた第四住心、第五住心は小乗仏教を表しており、これは文字通り、自分だけが乗ることができる小さな乗り物を作るのが小乗仏教で、ほかの人も乗せることができるのが大乗仏教である。すなわち、自分が涅槃に行くことを目的に修行をするのではなく、他者に対して差別なく慈悲の心を起こすのが大乗である。

 
 第六住心は他縁大乗心、自分の苦しみを解決すればそれで終わりなのではなく、苦しんでいる他者を放っておかないという考え方である。無縁とは無条件ということであり、差別することなく、どんな人に対しても、慈悲の心を持つのがこのステージである。それを大悲という。自分だけ幸せになっても、周囲の人が苦しんでいたら意味をなさない。

 
 思い起こしてみると、第二住心でも、人に対して善い行いをしたいと考えていた。しかし、この第二住心の他人に対する善行と第六住心の他人に対する善行の違いは、第二住心の善行はその裏に自分の承認欲求が見え隠れする。他人から認められたい、褒められたいと思っている間は、他人に対して善行をなしても、これは自利にほかならない。

 
 小乗と大乗の違いは、小乗はとにかく自分が欲望から解脱して涅槃に至ることを考えるのだが、それだと、解脱できる人と解脱できない人とに差が生まれる。その差こそが、差別の元となっているという考え方だ。そもそも大乗仏教は、「一切衆生悉有仏性」すなわち、生あるすべてのものは、すべて仏となる資質を内にもっているという教えに基づいている。そこには一切の差別はない。

 
 差別は多くの場合は決めつけだ。人間は経験を積み重ねていくとどうも固定観念ができてしまう。実体を知ろうともせずに判断してしまう。分類してしまうのは楽だ。しかし、そんな実体のない単なる分類を取り払ったときに、他人に対して無条件の慈悲の心が見えてくる。

 
 分類を取り払え――。そんなことをこの年末年始に考えていたら、レコード大賞を受賞したSEKAI NO OWARIがまったく同じことを歌っていた。

 
 また、この世界はいわば映し出された映像のようなものであり、実体がないということを悟れば、ものや財産に対する執着も脱することができる。

 
 しかし、この境地に至るためには莫大な時間がかかると言われている。大変な修行をしないといけないことになっている。でも、SEKAI NO OWARIのFukaseはたった37年でこの境地に至っている。修行の期間について空海はどう語っているのか、それをこれから紐解いていこう。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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