【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その22-一之宮貫前神社(群馬県富岡市) 石段を下った先の壮麗さ 本殿・拝殿が人を惹きつける
2023年2月8日(水) 配信
一般的な神社は、本殿は高いところにあり、参道はそこに向かって上っていくことが多いが、前回訪ねた木曾三社神社(群馬県渋川市)は本殿まで石段を下っていく、いわゆる「下り宮」であった。その雰囲気は独特であり、すっかり下り宮の虜になってしまった。
なんと、群馬の一宮も下り宮ということを聞き、改めて訪問することにした。
群馬の一宮は富岡市に鎮座する「一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)」である。JR高崎線の高崎駅で乗り換えて上信電鉄上州一ノ宮駅から徒歩10分と、公共交通機関でも参拝しやすい。
一之宮貫前神社の創立は、社伝によると、安閑天皇元年(西暦531年)に現在の安中市鷺宮に物部姓磯部氏が氏神である経津主神(ふつぬしのかみ)をお祀りしていたのを現在の地に移したことに由る。
由来となった鷺宮には、今も咲前神社が鎮座している。〈さきさき〉神社と読み、まさに貫前神社の先にここにあったことをその名前が物語っている。そういえば、鷺宮という地名も、先の宮から来たのであろう。
貫前神社は、天武天皇の時代には、天皇の名により幣帛(へいはく)を奉った。遠く奈良の都まで貫前神社の名前が知れ渡っていたことが窺える。
そのような1500年もの歴史を持つ貫前神社であるが、全国的には知名度はあまり高くはない。ただ、群馬県の特徴を読んだ「上毛かるた」にも「ゆかりは古し貫前神社」と登場していることから、群馬県民は子供のころから上毛かるたに慣れ親しんでいるため、群馬県民における知名度は抜群である。
実際に現地に行ってみると、まず目の前に坂道と上り石段が見えてくる。その72段の石段を上ったところで立派な大鳥居が迎えてくれる。その先に総門が見えてくる。総門の横には、唐銅製燈籠がある。地元の養蚕農家だけでなく、上州、江戸、横浜の生糸、絹商人ら総勢1544人が献納している。養蚕、製糸業が栄えていた時代をしのぶことができる。
総門をくぐると、そこから下りの石段が現れる。97段下って行った先に楼門が見えてくる。その奥に、極彩色総漆塗りの壮麗な本殿、拝殿が鎮座する。これらの社殿は、「貫前造」という当社独特の社殿形式になっており、徳川三代将軍家光公の命により造営され、五代将軍綱吉公の命により大修理がされたと伝わっている。雷神小窓という小窓が作られていることも特徴的である。
一之宮貫前神社には、車ではなく、ぜひ電車で訪問されたい。高崎駅でローカル線の上信電鉄に乗り換える。高崎駅のターミナルが都会的なので、上信電鉄に乗ると始めからタイムスリップしたような気持ちになる。上信電鉄の高崎駅では、切符に懐かしいハサミを入れてくれる。
2駅目に「佐野のわたし」という駅がある。ここに高崎市を流れる烏川を越える橋があるが、万葉集東歌に「上毛野佐野の船橋取り放し親はさくれど吾はさかるがへ」という歌がある。交際を親に反対された恋人の気持ちを歌った歌だが、世阿弥もこの佐野に伝わる悲恋の伝説を能楽「舟橋」にしたためた。
藤原定家も「駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮れ」と歌い、葛飾北斎も「かうつけ佐野ふなはしの古づ」と題した浮世絵を描いていることからも、佐野は人を惹きつける何かがある。
そのまま電車に乗り続けていると、美しい浅間山と険しい妙義山を同時に眺めることができ、群馬の特徴ある山々に魅了される。また、上州富岡駅からは徒歩5分で富岡製糸場にも行くことができる。電車に揺られて、ひとり道中あれこれ想像を働かせるのが、精神性の高い旅の醍醐味だ。
■旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授。2019年「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。