〈旬刊旅行新聞3月1・11日合併号コラム〉―― 日本の温泉文化と商業主義 「温泉への強い想い」を発信する機会に
2023年3月9日(木) 配信
福岡県・二日市温泉の老舗旅館「大丸別荘」が最低でも週に1回以上お湯の取り換えをしなければならないところを年に2回しか行っておらず、基準値の3700倍ものレジオネラ属菌が検出されていたというニュースに、とても大きなショックを受けた。
「大丸別荘」といえば、福岡県を代表する老舗旅館の1つだ。「よくわからない温浴事業者がずさんな管理で商売をしていた」というのとは重みが違う。
ずっと昔に、大丸別荘に宿泊したことがある。歴史を感じさせる名旅館という印象が強かった。客室や料理の細部は既に忘れてしまったが、大浴場については今もしっかりと記憶に残っている。入浴したのは深夜に近かったので、大浴場は私一人きりだった。温泉の湯気が立ち上るなか、源泉掛け流しの雰囲気のある温泉を満喫した。
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厳しいことを言うようだが、近年は温泉好きの私も、心理的、物理的な距離が生まれつつある。その大きな理由は、マナーの問題だ。コロナ禍以前にはインバウンド客が激増し、大型旅館の大浴場などは、外国人客に囲まれているという状況が多々あった。日本の素晴らしい温泉を、世界中の旅行者とともに楽しむことは大歓迎であるし、そうあるべきだとも思う。
けれど、現実はそのような理想的な姿ではなく、体を洗った石鹸がまだ残っているタオルを湯船に浸けていたり、体を洗うこともなく、いきなり湯船に入ってきたりする人の多さに少々うんざりしていた。
これはマナーを熟知していない外国人観光客だけでない。小さな共同浴場などでは、最も慣れ親しんでいるはずの地元の人たちのそのような光景を何度も見てきた。
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古くから裸で入る日本の温泉文化は独特のものがあり、水着着用が基本の外国の温泉文化とは大きく異なる。一方で観光産業と深く結びついた結果、一部の施設では商業主義が強くなり過ぎた傾向は否定できない。
戦後の高度経済成長期には団体旅行が隆盛期を迎える。大型バスで団体客が乗り込み、宴会場で酒を飲み交わし、大浴場に皆で温泉に浸かって大満足して帰っていった。海外旅行ブームが本格化するバブル期まで、国内旅行といえば温泉旅館で豪華な料理と、大浴場で温泉を満喫することを意味していた。
その後、団体旅行は減少し、個人旅行が主流になっていくと、貸し切り風呂や露天風呂付き客室などの人気が高まり、それらを備える旅館も増えていった。そうすると〝花形〟だった旅館の大浴場は、時代から取り残されたような、どこか宙ぶらりんな存在となっていった。マナーの乱れに対する対応や、衛生管理などの意識が希薄になった面があるのではないかと感じている。
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今回の一件は、温泉旅館全体に非常に大きなマイナスの影響を与えた。一方で、温泉への想いが強い、極言すれば、温泉がなければ存在理由すら失ってしまう、例えば日本秘湯を守る会の会員宿もある。また、古くから「湯守」が命懸けで源泉を管理している宿もある。憤りはどれほどだろうか。
温泉に対する消費者の目が厳しいなかで、今ほど「温泉への想い」を広くアピールできる機会はないのではないか。温泉を愛する宿は、本物の温泉文化の素晴らしさを発信してほしいと願う。
(編集長・増田 剛)