「提言!これからの日本観光」 着地発情報の充実を
2023年3月18日(土) 配信
1950(昭和25)年、国宝京都鹿苑寺の「金閣」が焼失した。前年の49年には国宝の「法隆寺」金堂の失火事件もあり、相次ぐ国宝の被災は当時深刻な社会問題となった。この2つの火災は改めて、文化財保護の重要性を認識させられる事件でもあったが、「金閣」の被災後、京都市に異常な現象が起こったことを思い出す。
それは「金閣」と同時代創建の慈照寺「銀閣」への参詣客や観光客が急増したことである。しかし、その人々がほとんどが京都市民だったのも驚きであった。修学旅行の立ち寄り先でもあり、京都観光の定番コースにも含まれている「金閣」は全国にわたり、多くの人が既に訪問経験を持っていたところである。
しかし、京都市民はそれまで、あまり訪れることがなく、焼失で驚いて逆に「今のうちに見なければ」と考えて「銀閣」に殺到したのだという。実は筆者もその1人で近くの人と一緒に「銀閣」を初めて訪れた。
考えてみると、京都市民にとって当時「金閣」は「いつも身近」にあるもので、普段とくに話題にもならないあまりにも日常的な存在であった。
「金閣」が有名なことはよく知られていて、地元民でも一度は見たいとは思うものの「いつでも行ける」身近な存在だけに、訪れる動機もなく過ごしてきた人が多かったので、起こった現象だと思われた(ほかの観光地の多くでも地元の人が、観光「客」として訪れることは少ないことが多いようだ)。
「観光」は情報によってその動向が左右される。地元の人が地元の「観光」に関心を持たないため、観光地居住の人からの正確な生の声での情報発信が少ない。このため、「観光」は主に東京など他地域にあるガイドブックの記者などが、発地の目で取材した情報に頼らざるを得ないことになる。観光地の住民からみると情報が地元発でないためか、地域の期待に反する観光客の動きが多いことが気になるのではないか。
観光地の住民がその地域の「観光」の見どころなどを積極的に発信するため、観光客の目線に立って居住地の「光」を見つめ直してほしいと思う。そしてそこから発信された情報、すなわち着地の人が最も推奨できる「観光」先はどこで、また、どのようなところを観光客に見てもらいたいかを観光地(着地)の目線に立って発信する着地発の観光情報が不可欠だと思う。
観光地発の情報が充実していれば、新しい観光対象(資源)も各地で開発されたであろうし、観光地同士の観光ネットワークによる広域観光も各地で推進されたのではないかと考えられる。
地元の人が居住地の「観光」により強い関心を持つことができれば地元の住民が放火するなどという「金閣」での暴挙なども防ぎ得たのではないかとも思う。そして、観光地発の生の情報による地域の暮らしに密着した真の「観光」、も実現するのではないだろうかと思う。
日本商工会議所 観光専門委員会 委員