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「観光人文学への遡航(33)」 空の空

2023年3月26日(日) 配信

 「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。(中略)人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆空である」。

 

 初めてこれを読むと、仏教典の和訳かなと思ってしまう。実は、これは旧約聖書の中の「コヘレトの言葉」の一節だ。旧約聖書は、人間がどうやって神によって創造されたか、そしてその人間がどうやって「神の民」として世代を継いできたかを記している歴史書の側面と、知恵文学と呼ばれる人生の諸問題に対処する処世訓から、世界の秩序のあり方までを説く側面とがある。「コヘレトの言葉」は知恵文学に分類されるが、「ヨブ記」「詩篇」「箴言」「雅歌」といった他の知恵文学と比べても、「コヘレトの言葉」は趣が異なる。愛に満ち溢れ、悪人をも含んだ一人ひとりの人間を大切にするといった極めて積極的な希望を語る聖書のなかで、「空」というキーワードが次々に登場する「コヘレトの言葉」は一見厭世的、悲観的に思えてしまう。同書が「異端の書」とも言われているのもある意味頷ける。

 

 聖書の和訳で空とされている言葉をヘブライ語の原典までたどると、へベルという言葉がそれに相当する。へベルは一般的には風を指し、風は追っても得られない空しいものの象徴とも言える。コヘレトは云う。「金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である。財産が増せば、これを食う者も増す。その持ち主は目にそれを見るだけで、なんの益があるか。働く者は食べることが少なくても多くても、快く眠る。しかし飽き足りるほどの富は、彼に眠ることをゆるさない」。コヘレトは金持ちや権力者に対して手厳しい。

 

 しかし、この部分は英語の聖書と日本語の聖書では多少趣が異なる。英語では、このヘベルに相当する部分を無価値(worthless)、無意味(meaningless)と訳している。空とは印象が違う。

 

 コヘレトの言葉を長年研究している小友聡牧師はこのヘベルを「束の間」と解釈している。それは短く空しいかもしれないけれど、その短い瞬間が神から与えられたかけがえのないものであると感じたとき、人は神によって生かされているということに気づかされる。空だからこそ、新たな価値観で満たすことができる。

 

 へベルを和訳で空と訳したところに日本の先人の知恵が垣間見える。意味のないものととらえている英語の聖書を読む人々とは異なり、空即是色の概念を既に知り、空になったからこそ至れる境地を知っている日本人の解釈は、聖書をもより深く読み込むことができるのだ。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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