〈旬刊旅行新聞5月11・21日合併号コラム〉――色々捨てた 旅は得ることも捨てることもできる
2023年5月18日(木) 配信
ゴールデンウイーク中は色々なものを捨てた。まずは、いつの間にか増えていく本を段ボール箱に詰めて、ブックオフに持ち込んだ。そのあとも、子供たちが集めていたマンガ本が山ほどあり、何回かに分けてブックオフに売りに行った。さらに、毎年着ることもなく箪笥に仕舞われていた洋服も、まずまずの値が付いた。
勢いづいた私は、長年ベランダに積んでいたスノータイヤ4本をコロコロと転がし、近くの中古タイヤ買取店に売りに行った。しかしそのタイヤは2011年製だったらしく、処分代として、逆に1本550円で計2200円を取られてしまった。
しかし、トータルでは金額的にプラスになり、心もすっきりしたので、よいGWだったと思っている。
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連休中は、例年通りどこにも行かなかった。その後、唯一出掛けた場所が、相模原市の麻溝公園の特設会場で開催していた大陶器市である。
新聞に大陶器市の広告が載っていたので、小雨がぱらつくなか、ハンドルを握ってワイパーをゆっくり動かし、全国各地の陶器を見に出向いた。
湯呑茶碗かコーヒーカップで気に入ったものがあれば、買おうと思っていた。美濃や織部、有田、九谷、波佐見、志野、笠間焼など、全国各地の焼き物を一度に見る機会は滅多になかったので、会場を2周ほどして楽しんだ。
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焼き物との出会いは運命だ。直観で「これ欲しい」と思った瞬間、そこから目も足も動けなくなる。そういう器に出会う体験はワクワクするが、大抵自分の想像をはるかに上回る高値の場合が多く、恐ろしさもある。
今回は、そのような器との出会いがなかったため、ホッとしている。どんな器が欲しかったかと言えば、例えば画家がアトリエで長年使っているコーヒーカップのような、縁が欠けているがどこか愛嬌があって、無造作に扱っても壊れない、運の強そうなものがいいなと思う。あまりに繊細で格調高い器はそもそも自分には不釣り合いだし、割れたときの精神的な喪失感に堪えられそうにない。
その日は、昨秋、長崎を旅したときに買った波佐見焼の器と同じものが安くあったので、1つだけ購入した。それと、先端の細い柘植の箸を買った。既に焼き魚の身をつまんで、お酒をちびちび飲むときに使っており、とても気に入っている。
いらないものを捨てる習慣が身についてくると、本当に大切なものが明確になる。私にも大切なものが幾つかあり、いつも愛情と手を掛けている。他人が大事なものを大切にしている光景を眺めるのも楽しい。
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GWにどこにも行かなかったせいか、今ごろになって旅をしたくてたまらなくなったが、コロナ禍が明けて仕事が忙しくなり、そう簡単にも行けない。
旅行は、何かを得て帰るイメージが強い。かけがえのない経験であったり、旅先での出会いという縁であったりする。単純にお土産を買って帰ることも含まれる。出発時の旅行鞄の中身以上に、たくさんの手土産を詰め込んで帰宅するケースが多々ある。
だが、考えてみると、旅先で多くのものを捨てていたことに気づく。ゴミや恥は捨ててはいけないが、ストレスや忘れたい過去も捨てられる。そして名前や身分も旅の間は捨てることができるのだ。
(編集長・増田 剛)