【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その26-三内丸山遺跡と大湯環状列石(青森県・秋田県) 「○○したい」から離れて 小さな幸せに喜びを感じる
2023年6月11日(日) 配信
精神性の高い旅はなにも神社や寺院を参拝するだけではない。ならば、精神性とは何か。前回、鉄道から海を見る景色に精神性を見出したときに感じたことは、自分の心の中に大きく占める「〇〇したい」という気持ちから離れることではないだろうか。
最近はとくに多様性が叫ばれ、人生とは自分のやりたいことを実現することこそが最上と言われている。学生のキャリア教育でも、いつもやりたいことを探せ、そのために自己分析しろ、とそればかりが言われている。
でも、学生がそれに対して、「やりたいことが見つかりません。どうしたらいいでしょうか」と問い返されることが増えている。それに対して私は返答する。やりたいことなんてなくてもいいじゃないか。やりたいことばかりを追求するから、周りでもっとキラキラした人を発見してしまったら、羨ましく見える。自分には今よりもっとほかにもやりたいことがあるのではないかと延々と自分探しをしていくことになる。やりたいことが見つかっても、これが一番やりたいことなんだろうかと、常に気になってしょうがない。人の欲望にきりがないように、「〇〇したい」という気持ちも決して満たされることはない。他人の芝が延々青く見え続ける人生だ。だからこそ、ここで、「〇〇したい」を追求し続ける人生と訣別し、やるべきことを淡々とやっていき、その中ではっと気が付く小さな幸せに喜びを感じる人生を提案したい。それが精神性なのではないだろうか。
名著「夜と霧」で、フランクルが、絶望の極みの強制収容所で、はっと見つけた夕焼けの美しさに希望を見出したように、日常の小さな出来事にこそ幸せがある。私も大学からの帰り、綱島街道の妙蓮寺近くの高台からの夕焼けに見とれるときがある。太陽が昇り、そして沈む、その繰り返しにも精神性は宿る。
それをまざまざと感じたのが、縄文遺跡を訪れたときだ。「北海道・北東北の縄文遺跡群」が2021年に世界文化遺産に登録されたことをきっかけに、全17遺産を巡ってきた。
縄文時代とは、今から約1万5000年前から約2400年前までの間を指し、1万年余りの長期にわたって我が国の独自文化が育まれた、世界的に見ても類まれな文化である。
縄文遺跡群が点在する北海道・北東北の地域は、山地、丘陵、平地、低地など変化に富んだ地形で、ブナなどの落葉広葉樹の森林が広がり、海洋では暖流と寒流とが交差した豊かな漁場からサケ・マスが河川を遡上する。縄文人は、このような環境のもとで食料を安定して確保し、土器を使用して定住を開始した。私たちが中高生のころは、縄文時代とは狩猟と採取で生活し、食料を求めて移住していたと習った記憶があるが、縄文時代の竪穴住居も、どう見ても定住している。三内丸山遺跡は物見やぐらなんて言っているが、どう見てもランドマークタワーにしか見えない。完全に定住した集落だ。
縄文文化は、定住開始のごく初期から精緻かつ複雑な精神文化を構築していたとされている。墓地を作り、祭祀・儀礼の場や環状列石を構築し、祖先崇拝や自然崇拝が行われていた。子供や障害者、イヌやウリ坊までも丁重に葬っている。小さいもの、弱いものにやさしい文化である。
環状列石は夏至のときに太陽が沈む方向をかなり正確に測って造られていることからも、毎日の日の出、日の入りに精神性を見出していたことは間違いない。
縄文文化は定住してはいたが、大規模農業は行わなかったのは、貧富の格差が出ないよう、皆で仲良く暮らせるよう、敢えてその道を選択していたのではなかろうか。これから、縄文に精神性を求めて旅を続けてみようと思う。
■旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授。2019年「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。