「提言!これからの日本観光」 「快速列車」考
2023年6月25日(日) 配信
近年、JR各社で「快速」列車を多く見掛けるようになった。「快速」列車は、急行料金のいらない急行並の高速列車として人気が高く、乗客も多い。とくに民鉄の高速列車が充実している関西地方では、JRも「快速」電車を各線に多発していて、両者が切磋琢磨しつつサービスを競っている。
その「快速」列車はいつごろ、始まったのであろうか(鉄道各社での急行料金収受の始まりは1906年のことであり、それまでは国・民鉄とも、今様にいうならば高速列車はすべて快速列車だった)。「快速」列車は、急行料金を収受しない通過駅のある高速列車のことであるが、この名の普及は35(昭和10)年ごろからで、始まりは関西地区で伊勢参宮のための臨時列車あたりが、そのはじめであったと考えられる。
“紀元2600年”記念行事を控えたそのころ、伊勢参宮客が漸増し、旧国鉄でも参宮臨時列車が増発された。最盛期となる1940(昭和15)年ごろには、姫路駅(兵庫県姫路市)から毎日片道2本、旧名称が湊町駅である現在のJRなんば駅(大阪府大阪市)と、名古屋駅(愛知県名古屋市)から各2本、さらに東京駅(東京都千代田区)から夜行1本の参宮「快速列車」が運行されていた。
しかし、「快速」列車は列車種別上、普通列車であり「時刻表」にも快速の表示はない。当時の駅での案内上、通過駅のある急行料金のいらない列車を「快速」として案内したのが、その始まりといわれる。
その発祥が関西地方であったのは30(昭和5)年ごろ、民鉄が現在の大阪上本町駅(大阪府大阪市)~宇治山田駅間(三重県伊勢市)の100㌔を超える長距離路線を開業し、ここに料金不要の急行電車を運行したのが動機になったからである。
この列車の盛況を念頭に、当時の国鉄が参宮快速と銘打って、姫路と湊町、名古屋の3方面から毎日、片道2―3本の急行並の速度をもつが料金不要のサービス列車を走らせたのが、その始まりとされる(当時関西では“快速度”列車として案内)。一方、民鉄は「参宮急行」「大阪電軌」の両社が伊勢参宮列車を料金不要の特急または急行電車などとして案内した。
旧国鉄は料金のいらない(民鉄との関係からもいただけない)列車に「急行」の名が使えなかったので「快速」列車として案内したのが、その始まりと考えられる。
従って、乗客案内上の商品名ともいうべきもので、列車種別としては、あくまで「普通列車」となっている。
「快速」の名は、このような制約のなかで、「急行」の名が使えなかった当時の国鉄の苦肉の策としての命名であった。
「快速」は、気軽に乗れる高速列車をイメージした商品名として定着し、半世紀を経った今日では、急行料金不要の都市圏の高速列車の商品名として定着愛用されるに至っている。
日本商工会議所 観光専門委員会 委員