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新しい来客をお迎え ― 替えられない上等なクロスよりも…

2015年3月11日
編集部

 東京駅の新幹線ホームで、これから乗る車両のドアが開くまでの間、清掃中のようすを眺めることが多い。ごみを集め、座席の向きを変え、テーブルが汚れていれば拭き、ヘッドカバーを一枚ずつはがし、新しいカバーに掛け替える。私は、このヘッドカバーをすべて掛け替えるところに、乗客へのささやかな、しかし、大きな鉄道会社の心遣いを感じるのである。

 20代のころ、東京のシティホテルでアルバイトをしていたことがあった。宴会場に銀食器やグラスを並べたあと、それぞれが担当するテーブルのワイングラスやシャンパングラスなどを念入りに磨かせられた。私はこの作業が大好きだった。まだ客のいない大きな宴会場でさまざまなリハーサルが行われるなか、自分が担当する円卓の10人前後のグラスを一つひとつ磨きながら汚れが残っていないか確認する。どうしても落ちない汚れや、わずかに欠けたグラスがあれば、綺麗なものと取り換える。接客が始まると、ある意味で戦場の様相に一変するが、その前に精神を落ち着かせ、集中することができる時間だった。

 以前働いていた会社の上司が面白いことを言った。「友達の家でビールを飲んだときに、すごく美人な友人の奥さんが俺にグラスを差し出してくれた。でもそのグラス、水垢が全面にこびりついていたんだ。汚れたグラスをそのまま差し出されるのなら、紙コップの方がまだいいよ」というのである。

 とても小さなことであるけれども、すごく重要なことのようにも思える。私は潔癖症ではない。それどころか、自分の身の回りの整理整頓すらできない、筋金入りの無頓着者である。でも、この上司の何気ない言葉に共感するところもあった。

 たまに行くレストランがあるのだが、味は絶品。ホールスタッフの愛嬌もいい。でも、最近は足が遠のいている。というのも、そのレストランの美しいテーブルクロスの汚れを見たくないからだ。白い布に角度を違え、ミッドナイトブルーや臙脂色の上等なクロスを掛けるのはいいが、次の客が座るまでの間にテーブルクロスを掛け替えるほど徹底した店ではないので、しばしば前客のソースやスープのこぼれた跡が残っている。「替えられない上等なクロスよりも、綺麗に拭かれた剥き出しのテーブルの方がいい」と残念に思う。美味しいが、誰かを誘ってその店に入ることはなくなってしまった。

 高級旅館やホテルでは、高級ベッドにまっさらな白いシーツが敷かれ、お客を待っている。しかし、私が泊まるような庶民的な宿は、布団も決して新しいわけではない。おそらく何百人もの旅人を包み込んだ“くたびれた”布団だろう。しかし、自分が支払っている宿代と照らし合わせると、文句を言えた義理じゃないし、根が無頓着であるから、あまり気にはしない。

 けれど、夕食から部屋に戻って来たとき、しっかりと洗濯されているとわかる真っ白な布団カバーやシーツで包まれた寝床がセットされていたら、その宿の心映えに、感動してしまう。

 高級素材や、新しいものをすべてのグレードの宿が提供できるわけではないし、同じようにすべての客がそれを望んでいるわけでもない。ただ、望んでいるのは、「前の客の痕跡を残さず新しい来客をお迎えする」という、ささやかな心遣いだけである。

(編集長・増田 剛)

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