〈旬刊旅行新聞7月21日号コラム〉――哀悼 望月照彦さん 22年間、計263回に及び執筆いただいた
2023年7月20日(木) 配信
エッセイストの望月照彦さんが6月26日、自宅療養中のところ亡くなられた。79歳だった。
本紙(旬刊旅行新聞)で2001年5月から、毎月1日号掲載コラム「街のデッサン」を、今年3月1日号まで約22年間、計263回に及び執筆を続けていただいた。
今年の春ごろから体調を崩され、4、5、6月はコラムを休載していた。望月さんの体調が回復され、執筆の再開を願っていたが、残念でならない。
謹んで哀悼の意を表します。
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望月さんとお会いした機会は少なかった。旅行新聞新社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」の表彰式を毎年1月に東京・新宿の京王プラザホテルで開催しているが、その祝賀パーティーに何度かご出席いただいていた。
長身でグラス片手に佇む姿をお見掛けし、コラム執筆へのお礼を申し上げ、ほんの少し世間話をする程度だったが、華やかなパーティー会場で、ひと際お洒落な望月さんに漂うオーラの印象が強く残っている。
その後も、望月さんが登壇する「まちづくり」をテーマとするシンポジウムやパネルディスカッションを何度か取材したが、振り返ってみると、これまで深くお話をさせていただいたことはなかった。しかし、22年間、望月さんのエッセイに毎月親しんできたことによって、実際にお会いした回数以上に、関係の「近さ」を感じていた。
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本紙のコラム陣は豪華である。経験豊富な執筆者が、さまざまな知見を深める情報を提供してくれる。望月さんは数ある肩書の中で、「エッセイスト」として執筆された。暮らすようにパリを旅されたり、ご自宅のある東京・代々木周辺を街歩きされたり、その眼差しや描写が好きだった。
編集者の特権として、読者よりも先に原稿を読むことができる。校了日などは、朝から終日校正作業に追われる日もあるが、望月さんの“純粋な旅のエッセイ”は、校正で疲れ切った頭に「一服の清涼剤」のように、爽やかにデッサンされた世界観が広がった。
異業種の人が集うパーティーなどで「旬刊旅行新聞」と書かれた名刺を渡すと、「楽しそうな新聞ですね」と、しばしば言われる。扱っている分野は旅行や観光だが、日々取材して記事を書く記者にとっては、会見での厳しいやりとりや決算の数値など、他業界の新聞記者と大きくは変わりない。
だから、ときには本紙の紙面が読者に「堅苦しさを与えているのではないか」と危惧することがある。そんなときに、コラムというのは、異なる空気を味わえる枠として存在する。
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頻繁に会う人であっても、心が触れ合わない関係がある一方で、一度も会ったことがないのに、師であり、友人である関係もある。作家と読者の関係は、そのようなものだ。
文字だけの小説やエッセイとじっくり向かい合う時間が減少傾向にあるが、幸か不幸か、新聞を発行していると、相変わらず想像力が命の文字の世界と触れ合いながら生きている。
本気であるほど文章を書くことは、つらい作業である。そして、つらい中にも書き手の根底に「書くことが好き」という想いが強くなければ、読者はもっとつらく、楽しむことなんてできない。望月さんのコラムの文章を読むと、いつも心は楽しくなった。
(編集長・増田 剛)