【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その28- 是川縄文館の国宝「合掌土偶」(青森県八戸市) 祈る土偶? 精神性の源流を訪ねて
2023年8月11日(金) 配信
縄文文化は不思議だ。普段使いする土器ならばシンプルなほうが破損のリスクは軽減されるだろうに、それでも凝った装飾を施す。新潟県十日町市の笹山遺跡で出土した火焔型土器は、のこぎりのようなギザギザや鶏のトサカのような装飾、渦のような立体的な文様が見られる。縄文の名前にイメージが引っ張られ過ぎているが、縄の文様なんて単純なものではなく、ダイナミックなアートそのものである。
どうも人はその名前で印象の広がりに限界を自ら設定してしまう。精神性の高い旅は、普段の生活でがんじがらめになっている自分に自由を回復する旅でもある。だからこそ、既存のすべてのものにとらわれずに、感性のアンテナを研ぎ澄ますことが求められる。
かつて縄文遺跡は、単に考古学、民俗学の素材であった。そこにアートの思考をダイナミックに取り入れたのは岡本太郎である。岡本太郎の登場以前、日本美術史には縄文は存在しなかった。それが現在、縄文土器や土偶はジャパニーズアートの旗手となった。
1951年、岡本太郎は東京国立博物館で偶然縄文土器を目にする。博物館の考古学の陳列物だった異形を目の当たりにして、「なんだこれは!」と叫んだ。太郎の感性に訴えかけた縄文土器は、考古学者たちによって「火焔型土器」と名付けられている。なるほど、複雑な把手とギザギザの形があたかも炎が燃え盛っている様を象ったとも見える。
しかし、太郎は、これは火炎ではなく深海だと喝破した。縄文人は深海をも知っていると太郎は驚嘆した。確かに、深海ととらえたら、土器の下部の渦巻きもすべて説明がつく。把手は深海に棲む生物だろうか。
縄文人が何を考えてこの縄文土器を製作したかは知る由もないが、現代に生きる我われは自由に想像し、解釈をすることができる。しかし、名前はときに想像の自由を奪う。火焔と言ったら火焔が前提になってしまう。それをも取っ払って、自由に考えを広げるのが、精神性の高い旅だ。
祈っている土偶があるという。「合掌土偶」という土偶が青森県の是川遺跡近隣の是川縄文館に展示されている。土偶が出土したのは、八戸市南の新井田川の右岸に位置する場所である。この遺跡は、縄文時代後期後半の大規模な環状集落であり、縄文後期の拠点であったことが窺い知れる。
合掌土偶は、一つの竪穴住居跡の出入り口から向かって奥の北壁際から出土した。右側面を下にし、正面を住居中央に向け、背面は住居壁面に寄り掛かるように確認された。また、出土時に欠けていた左足部分は、2・5㍍離れた西側の床面から出土した。土偶は、一般的に捨て場や遺構外からの出土例が多いが、住居の片隅に置かれた様な状態で出土した例は非常に少ないということで、この土偶は大切に扱われていたことが分かる。
多くの土偶が全国各地から出土しているが、合掌する姿で出土したものは、青森県つがる市の石神遺跡から発掘した土偶と、この是川縄文館の合掌土偶の2体しか確認できていない。また、石神遺跡の合掌土偶は欠損部分が多く、完全な形で残っているこの合掌土偶は、その価値から国宝に指定されている。土偶で国宝に指定されているのは、これを含めて全国でわずか5体しかない。
合掌する姿は、どことなくユーモラスで口元もなにか語り掛けてきそうな感じである。本当にこれは祈っている姿なのだろうか。合掌土偶と名前が付けられているから、それに引きずられてしまっているが、もしかしたら違う動作を表している可能性も十分にある。縄文人の気持ちと一体となって、土偶からのメッセージを読み取ることも精神性の高い旅だ。
■旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授。2019年「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。