「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(224)」 大山さんのおかげ(鳥取県・大山町、米子市ほか)
2023年10月1日(日) 配信
遠くに旅をして故郷にもどると「あ~帰ってきたなぁ」と思う瞬間がある。それはいつもの見慣れた山や川を目にしたときであろう。山陰地方のシンボル・大山は、地域の方々にとって、そんなかけがえのない山である。だから地元の皆さんは、いつも「大山さんのおかげ」と山を敬う。
しかし、地元の方々の想いには、もう少し歴史的な背景もある。それは大山の山頂に現れ、万物を救うという昔からの地蔵菩薩信仰である。
日本最古の「神坐す山」と言われた大山の「地蔵信仰」は、「出雲国風土記」の国引き神話に「伯耆国なる火神岳」として登場する。その中腹にある大山寺に祀られる地蔵菩薩は、山頂の池から人々に水を恵み、現世の苦しみから万物を救うと信じられてきた。人々は、延命をもたらす「利生水」と地蔵菩薩の加護を求めて参詣した。
地蔵菩薩は、生きとし生けるものすべてを救う仏さまであることから、牛馬に対する信仰も生んだ。平安時代、大山寺の高僧、基好上人が牛馬安全を祈願する守り札を配り、山の中腹に広がる牧野で牛馬の放牧も奨励した。
大山山麓で育った放牧牛は、参詣者の注意をひいた。大山寺の春祭りなどに牛くらべ、馬くらべが開かれたが、やがて鎌倉時代になると、次第に牛馬の交換や売買が盛んになり、市(牛馬市)に発展していった。江戸時代中頃、大山寺境内の下にある「博労座」では大きな牛馬市が開かれるようになった。これが全国唯一の「大山牛馬市」である。
水の恵みに延命を求める地蔵信仰の「大山信仰」「牛馬信仰」は、西日本各地に大きな信仰圏を形成した。とりわけ大山の裾野に暮らす人々は、「大山さんのおかげ」と日々感謝しつつ大山を仰ぎ見るという、大山信仰の名残が今日まで続いている。
その一端が、米子市の街中に残る地蔵信仰にも強くみられる。米子市内を貫くように流れる賀茂川沿いや寺町には、26体の地蔵さんが人々の暮らしに溶け込んでいる。今でもお地蔵さんに札を順番に貼って歩く「札打ち」の家族連れの姿をよく目にする。身内に不幸があったとき、浄土に着かれるまでお地蔵さんにお守りいただくよう、7日ごとにお地蔵さんを巡り「南無阿弥陀仏」と書かれた白札を貼る。49日目には赤札を貼って一段落という風習である。四国霊場や観音霊場の札打ちもあるが、ここでは地元庶民の信仰に根差したこの地方独特の風習である。
こうした暮らしに根付いた大山周辺の地蔵信仰の姿が、まちを訪ねる観光客の心にも響く。これも「大山さんのおかげ」であろう。
しかし、大山の魅力は、歴史文化だけではない。大山中腹を拠点とする大山観光局は、優れた自然・景観を生かしたアドベンチャーなど、海外誘客にも力を入れている。世界に向けた今後の展開を期待したい。
(日本観光振興協会総合研究所顧問 丁野 朗)