【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その31-媽祖神信仰の崇福寺巡礼(長崎県長崎市) 中国人が崇拝する媽祖神信仰 海の安全を祈願する“赤色の聖地”
2023年11月11日(土) 配信
長崎県には“長崎三福寺”と呼ばれる、興福寺、福済寺、崇福寺という唐寺があり、すべて黄檗宗の寺院です。今回、ご紹介します崇福寺は、2つの国宝建造物があることでも知られています。
長崎で貿易を行っていた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然という僧を招聘して、1629年に創建したお寺です。興福寺は、中国の揚子江(江蘇・浙江・江西)出身の人々が造ったので、南京寺と呼ばれるのに対し、崇福寺は、中国の福建省・福州の人々が造ったので、福州寺とも呼ばれています。崇福寺は、日本最古の中国様式の寺院でもあります。
さて、江戸幕府が鎖国政策をとるようになってから、日本の貿易相手国は、オランダと中国のみとなり、外国船が入国できるのは、長崎だけでした。1689年、現在の長崎市館内町に約9400坪の唐人居留地が完成されました。長崎に入港した船の中国人乗組員は、すべてこの居留地で生活することを強制されたのでした。これが長崎奉行所の支配下に置かれていた「唐人屋敷」です。
この唐人屋敷跡の近くにあるのは、長崎のチャイナタウンとして有名な「新地中華街」。この新地中華街、神戸の南京中華街や横浜中華街、今回の崇福寺などは、「赤」という色が最大のテーマカラーで、赤は中国の人々にとって縁起の良い開運色であり、お祝いの色という大変幸運に満ちた意味が込められています。
赤は日本では魔よけの色であり、神社の鳥居の朱色は防腐効果もあるのですが、「悪いものはここから入ってはいけない」という強いメッセージもあるのです。中華街などを散策すればよく見る光景ですが、赤は商売繁盛の色でもあり、金と組み合わせてお店の壁などに使用されていることが多いでしょう。ちなみに、中国では結婚式は招待状も、ご祝儀袋も赤を使用しています。
当時、日本は中国との貿易が盛んであり、中国との貿易利益金は長崎の地元の人々にも分配されていたため、中国船の入港を歓迎し、親しみを込めて中国の人々を「阿茶さん」と呼んでいました。阿茶さんとは、「あちらのひと」という意味のようです。
さて、今回の崇福寺へのお参りは、ふだん唐人屋敷から出ることを禁じられていた中国の人々にとって、外出できる貴重な機会であり、その道中が「阿茶さんの寺参り」とも呼ばれ、賑やかであったそうです。崇福寺の第一峰門は国宝の赤い丹塗りの扉であり、鮮やかな存在感に圧倒されます。この扉の四隅は、コウモリが飾られていて、中国ではコウモリは開運バードであり、慶事や幸運のシンボルとのこと。
崇福寺の大雄宝殿は1646年に創建され、第一峰門と同様に国宝です。赤や緑、青や金色で彩られていて、道教の影響を受けているように感じられます。中に入ると、正面には釈迦如来像が安置され、左右には十八羅漢像が並び、釈迦如来を護っています。
大雄宝殿の背後にあるお堂が「媽祖堂」です。媽祖神という神様を祀っています。媽祖神は女性のお姿であり神様かもしれません。
媽祖神というのは、航海の安全を祈る中国の民間信仰の神様です。福建省の船の仕事に従事する人々は、この媽祖神を熱烈に信仰していました。人々の航海の安全を祈る、切実な想いが媽祖堂で感じられました。彼らは、まず媽祖堂を建てて、その後で大雄宝殿を創建して、崇福寺を次第に仏教寺院として造り上げていったそうです。
長崎の街には、異国の面影が色濃く残っています。多数の教会や中国様式の寺院があり、日本にいるようで日本ではないような一面もあり、旅心をかき立てる魅力的な場所といえるでしょう。
■旅人・執筆 石井 亜由美
カラーセラピスト&心の旅研究家。和歌山大学、東洋大学国際観光学部講師を歴任。グリーフセラピー(悲しみのケア)や巡礼、色彩心理学などを研究。