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【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その32-空海の生誕地 善通寺(香川県善通寺市) 1250年の時を超えて 聞こえてくる空海の言葉

2023年12月7日
編集部

2023年12月7日(木) 配信

 今からちょうど1250年前、讃岐国屏風浦で空海はこの世に生を受けた。その場所が現在の善通寺である。幼名を佐伯真魚と称した。

 

 幼少のころから聡明で、聖徳太子の生まれ変わりとか、唐の高僧不空三蔵の生まれ変わりとかとも言われていた。

 

 ある日、幼い真魚が泥遊びをしていたところ、通りかかった勅使が、突然馬を下りて深々と礼拝した。訝しがった周囲の人に対して、勅使は「あの方は、尋常の人ではありません。四天王が白傘を持って、前後に相随っているのが私には見えるのです」と返答した。空海の神童ぶりもさることながら、この勅使の本質を見抜く感性もまた賞賛に値する。こうやって1人の天才が出現する奇跡だけでなく、その天才を見抜き、潰さず、育て上げる周りの人々の力こそが理想郷を作り上げる社会だ。最近の世界はむき出しの欲望で人を容赦なく叩き潰す。今こそ空海が育った善通寺に残る温かい空気感をもう一度日本全国に取り戻したい。

 

 

 空海生誕1250年を記念して、善通寺ではこれでもかとばかりに御開帳に次ぐ御開帳が行われていた。

 

 まず、五重塔の内部の特別公開である。高さ43㍍の堂々たる五重塔は、上部から伸びる心柱が特徴的である。心柱は6本の木材を継いだもので、屋根裏から鎖で吊り下げられ、礎石と心柱の間には6㌢の隙間がある。これが礎石に到達したときに五重塔は完成すると言われているそうだ。それはいつになるのだろう。

 

五重塔

 

 金剛界胎蔵界両界大曼荼羅の御開帳も行われた。これはなんと200年ぶりだそうだ。もう次回拝むことは叶わない。このことからも、自分の人生など仏様の世界からするとほんの一瞬なんだということを実感させられる。

 

 そして、圧巻は御影堂奥殿を再現した御開帳である。御影堂は、空海が生まれた佐伯家の邸宅跡に建てられた寺院で、奥院は母君玉寄御前の部屋があった場所とされている。御影堂の地下には、約100㍍の通路をめぐる「戒壇めぐり」がある。真っ暗な中を南無大師遍照金剛と唱えながら左手を壁伝いに進み、その中央には大日如来像が安置されたところにようやく辿り着く。参拝したあと、また真っ暗な道を壁伝いに帰っていく。戻ったときに、僧侶の方から、真っ暗な中の壁にはぎっしり仏様が描かれており、あなたは仏様に導かれて往って還って来られたのだよと言われた。そうだったのかとはっと気が付き、改めてここは自己を見つめなおす精神修養を行うまさに道場であることを実感した。これは普段から入場することができる。

 

御影堂。「戒壇めぐり」もここにある

 

 大日如来像のある場所のちょうど真上に、漆黒の大師像と、お守りする四天王が安置されており、これらは普段は見ることができない。大師と四天王とともに、愛染明王坐像、降三世明王像、両界曼荼羅図、弘法大師十二大弟子像もあわせて今回忠実に再現されて御開帳された。

 

 四天王が大師を守る姿は、まさに善通寺に伝わる故事の通りである。

 

空海生誕1250年を記念して今年だけの限定御朱印。幼名の「真魚」と記されている

 

 善通寺を去ろうとしたそのときに、私の母くらいの年齢の女性に呼び止められた。ひとしきり世間話をしたあと、「もしよろしければ拙宅でお茶でもいかがですか」とお誘いいただいた。これが御接待というものか。お遍路さんを見返りのない愛で茶菓や食事を振る舞うことを八十八ヶ所沿道では御接待と言われているが、私は松山出身でありながら、御接待をしたことも受けたことも見たこともなかった。こんな垣根のない人と人との関係性は、53年の人生で初めての経験だ。今までに幾重にも重ね着していた鎧兜をすべて脱いだ瞬間だった。

 

旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授。2019年「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。

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