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【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その33-天草・崎津教会&崎津諏訪神社の祈りの旅(熊本県天草市) 潜伏キリシタンの想いに触れる ゴシック建築の海の天主堂

2023年12月31日
編集部

2023年12月31日(日) 配信

 今回の精神性の旅先である崎津教会は、2018年7月に世界遺産登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタンの関連遺産」である、構成遺産の1つ。崎津教会は、天草下島の小さな漁村の集落にあります。「海の天主堂」とも呼ばれ、日本家屋の中に凛とした、佇まいを持つゴシック様式の教会。1934年にハルブ神父と信者によって再建。施工は教会建築の棟梁・建築家として名声を残した長崎・五島出身の鉄川与助氏。かつて、「絵踏」が行われていた崎津庄屋役宅の跡地に建っています。

 

 

 そして、もう一つの旅先が、崎津教会のすぐ近くにある、崎津諏訪神社。神社の鳥居から崎津教会を見渡すことができ、美しい光景を目にすることができます。神社の鳥居から教会が覗けるというのは、これは潜伏キリシタンの歴史を象徴しているのです。集落山側にある崎津諏訪神社は禁教のなか、密かに信者が祈りをささげていた場所。仏教徒を装いつつも、参拝のときに「あんめんりうす(アーメン、デウス)」と唱えていたと記録が残っています。

 

崎津教会

 

 崎津諏訪神社の裏手の階段の頂上、「チャペルの鐘展望公園」も素敵な場所。「海の天主堂」と呼ばれる崎津教会や、日本の渚100選にも選出されている崎津集落が一望できます。

 

 私自身、世界遺産に登録される前に、長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産の情報戦略委員として、この地を訪れていますが、静謐で神聖な空気感と教会と神社と穏やかな海が融合して、居心地の良さを感じました。

 

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、キリスト教が禁じられているなかで、長崎と天草地方において、日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら、信仰を続けた潜伏キリシタンの信仰継続にかかわる伝統の証となる遺産群。それらは、大航海時代のアジアにおいて、キリスト教宣教地の東端にあたる日本列島の中で、最も集中的に宣教が行われた長崎と天草地方の半島や離島に点在しています。

 

 日本各地には、宣教師との接触が絶たれた後も、厳しい探索をかいくぐり、潜伏して信仰を続けることを選択した「潜伏キリシタン」が存在しました。

 

崎津諏訪神社

 

 しかし、17世紀後半に各地で「崩れ」と呼ばれる大規模な潜伏キリシタンの摘発事件が相次いで発生し、その結果、一部の例外を除き、潜伏キリシタンは途絶えました。その例外となった地域がかつての宣教拠点であり、他の地域に比べて長期にわたる宣教師の指導のもとに組織的な信仰の基盤が整っていた長崎と天草地方でした。そのため、この地方には潜伏キリシタンが自らの信仰を続けた伝統の証となる資産が存在します。

 

 天草の「崎津集落」は、生業に根ざした身近なものを信心具として代用して崇敬することにより、漁村特有の信仰を密かに続けた潜伏キリシタンの集落です。禁教期の崎津集落では、指導者を中心として、自分たち自身で信仰を続ける過程で、大黒天や恵比寿神をキリスト教の唯一の神であるデウスとして崇拝し、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てるなど、漁村特有の信仰形態が育まれました。解禁後は、崎津集落の潜伏キリシタンはカトリックへと復帰し、禁教期に祈りをささげた神社の隣接地に教会を建て、その伝統を終えました。

 

 崎津教会から海側へ徒歩1分程度に、崎津資料館「みなと屋」があります。潜伏キリシタンの信心具や、交易による栄えた昭和の崎津集落が展示。2階から見る崎津教会の景色も、一見の価値があります。天草市に、潜伏キリシタンの遺物が展示されている「天草ロザリオ館」もありますので、ぜひ訪れてみてください。交通アクセスは、天草空港から、車で45分程度。

 

旅人・執筆 石井 亜由美
カラーセラピスト&心の旅研究家。和歌山大学、東洋大学国際観光学部講師を歴任。グリーフセラピー(悲しみのケア)や巡礼、色彩心理学などを研究。

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