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ナショナルスタジアム ― 過去の記憶のない“未来型”は虚しい

2015年8月1日
編集部

 先日、埼玉スタジアム2002に末っ子の息子を連れて浦和レッズVSサンフレッチェ広島の一戦を観に行った。小学校も夏休みに入ったし、「たまには父親らしいこともしなければ」と思い、うだるような暑さのなか、神奈川県の相模原から埼玉県の浦和まで行ったのであった。通常は日産スタジアムで横浜マリノスのホームゲームに来る鹿島アントラーズ戦を観に行くことが多いのだが、Jリーグ日程表を見ると、マリノスのホームゲームはなく、近くでは味の素スタジアムでのFC東京VSモンテディオ山形戦も脳裏に浮かんだが、浦和レッズのホームゲームのサポーターの熱気を体感したい思いが勝った。

 スタジアムに着くと、当日券を購入した。アーチ状になったメインスタンドの最上部に近い座席だったので、遠くに東京スカイツリーも見えた。そういえば、旧国立競技場も最上部にいると、新宿の高層ビル群が見えた。埼玉スタジアム2002はアジア最大級のサッカー専用スタジアムなので、陸上トラックがない分だけ、選手を真上から眺めるアングルで臨場感があった。甲子園球場のアルプススタンドのような高さも心地よく、時折風が吹き抜けると、巨大スタジアムの壮大なスケールが持つ爽快感を覚えた。

 試合は浦和レッズが前半に先制点を取ったが、後半に入りサンフレッチェ広島が2点を奪い返し、逆転勝利を収めた。圧倒的なレッズサポーターに囲まれたスタジアムの中で、サンフレッチェがゴールを奪った瞬間、紫色のサポーターが歓喜する姿に「きっと首都圏で生活している広島出身の人がたくさんいるのだろう」と思った。アウェイゲームのため、数は少なかったがサポーターに愛されるサンフレッチェの選手たちは幸せだなと感じた。そして、目当てだった浦和レッズのサポーターの熱狂度はやはり日本を代表するもので、埼玉スタジアム2002は、まさにレッズサポーターの聖地と化していた。

 折も折、ザハ・ハディド氏による新国立競技場のデザイン案が白紙撤回になった。流線形が未来を感じさせるが、「未来型は流線型でなければならない」との厳格なルールでもあるのだろうかと思ってしまうほど、未来型は決まって無個性な流線形になってしまう。愛されるデザインの深部には個人、あるいは民族の記憶が織り込まれている。私は新国立競技場のデザインに、何の記憶も呼び起こされなかった。ツルンとした無色無臭のプラスチックのカプセルを手にしたように、脳を、胸を、刺激しなかった。

 個人的には10万人が入れば、シンプルなデザインでいいと思う。しかし、何が何でも莫大な金額を投入したいというのなら、日光東照宮の陽明門のような微に入り細を穿つ豪華絢爛さ、あるいは金閣寺のような凛々しき黄金のスタジアムの方がまだマシだ。日本建築の粋は細部に宿る。100年間愛されるナショナルスタジアムのデザインは日本人のDNA、記憶に響くものを望みたい、と書きながら未来型のデザインが嫌いな理由がわかった。それは過去から未来へのつながりの中に見出す現在性が存在しないからだ。過去と切り離されたデザインはどこか画一的で、一様に虚しい。それを新国立競技場のデザインに感じた。流線形の、いかにも未来型に惑わされてはいけない。

(編集長・増田 剛)

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