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【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その37-大阪・四天王寺&番匠堂めぐり(大阪府大阪市) 大きな愛情で包まれる寺院 極楽浄土“日想観”の聖地 

2024年5月2日
編集部

2024年5月2日(木) 配信

 大阪の地元の人々から、「天王寺さん」と親しまれている四天王寺。私が東洋大学大学院で「グリーフセラピーとしての巡礼」について論文を執筆する際、さまざまな寺院を調べていくなかで、一番感銘を受けた寺院でした。

 古くから大阪へ旅する観光客が必ず参拝したのが、この四天王寺と住吉大社でした。オランダの医学者・博物学者のシーボルトも、「江戸参府紀行」の中で、1828(文政9)年に、四天王寺の五重塔にのぼり、「塔の上はすばらしく遠見きいた」と感動したことを書いています。

 

 

 四天王寺の歴史は、約1400年前の飛鳥時代、推古天皇元年の593年、大阪の中心部に3万3000坪という広大な敷地に、聖徳太子により建立された、日本仏法最初の官寺。

 聖徳太子が制定した「十七条の憲法」は「和を以て貴しと為す」の言葉に則って、寺の宗派は「和宗」。浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、曹洞宗など宗派の違いを超えて、多くの人々がお参りにきます。

 この四天王寺では、「四箇院制度」というものを取り入れました。寺の伽藍に、薬を栽培して人々に与える「施薬院」、あらゆる人々を入院させた「療病院」、貧しくて身寄りのない人々を住まわせた「悲田院」、人々を悪の世界から救い、悟りの境地に導かせるための修行道場である「敬田院」という、4つの施設を設けました。

 金堂には、ご本尊の救世観世音菩薩が安置されていて、その四方に四天王が祀られています。鎌倉時代の歴史物語「水鏡」によりますと、救世観世音菩薩は、聖徳太子の生まれ変わりともいわれています。

 

四天王寺内にある番匠堂

 四天王寺内に、「番匠堂」という小さなお堂があります。番匠とは、大工さんを意味する言葉。この番匠堂の中に、「曲尺太子」と呼ばれる、右手に大工さんが使用する曲尺を持っている聖徳太子像が祀られています。四天王寺を建立するとき、聖徳太子は百済などから多くの大工さんや技術者の方たちを招いて、進んだ技術を積極的に導入したようです。

 聖徳太子は、日本に多くの寺を建てた人であり、建築に深い理解がある人として、とくに大工さんや職人さんたちから尊敬されていて、熱心な太子信仰があります。

 この番匠堂に「南無阿弥陀仏」という幟が掲げられています。聖徳太子は、大きなお堂を建てるときには、あらゆる生命が犠牲になってしまうということで、「南無阿弥陀仏」と唱えて、祈りをささげられたようです。

 

四天王寺の石の鳥居

 四天王寺の西に向かっている「西大門」は、昔は「西の大門」と呼ばれていましたが、今は「極楽門」と称されています。この門には、大きな石の鳥居があります。

 彼岸の中日には、この鳥居の真ん中に、太陽が沈んでいくのが見えるというので、「夕陽は極楽の方向を示す」ということから、昔からこの西門には多くの人が集まって、夕陽が沈むころ、念仏を唱えながら西の方角を拝んでいたのです。そのため、四天王寺の西門は「極楽の東門」であるという信仰が生まれ、西門は「極楽門」と呼ばれています。

 弘法大師・空海は、この西門で「日想観」という瞑想の修行をしました。日想観とは、心の中で極楽浄土を強くイメージして、それが自然と見えるように念じる行のこと。現在でも彼岸の3月21日に、多くの人々がこの西門に集まって、聖徳太子への和賛や念仏が唱えられ、鳥居の彼方に浮かぶ夕陽を見ながら、西の極楽浄土をイメージして、とても皆さん盛り上がるようです。この四天王寺は、心が悲嘆にくれたとき、大きな愛情に包まれるような感覚になれる聖地です。

 

旅人・執筆 石井 亜由美
カラーセラピスト&心の旅研究家。和歌山大学、東洋大学国際観光学部講師を歴任。グリーフセラピー(悲しみのケア)や巡礼、色彩心理学などを研究。

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