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〈旅行新聞6月1日号コラム〉――大相撲 存在の“美しい”力士は「郷土の誇り」

2024年5月31日
編集部:増田 剛

2024年5月31日(金) 配信

 明治生まれの曾祖母が相撲好きで、私も4、5歳の幼少期から大相撲を熱心に観戦しはじめた。大人になっても熱は冷めず、どうしても相撲が見たくなると、あろうことか、会社を早退してそのまま真っすぐ両国国技館に向かったこともあった。

 当時の贔屓力士は横綱・輪島。金色の廻しを締め、見るからに力強い足腰で、若き大横綱・北の湖のパワー全開の猛攻を半身で受けながら、隙あらば黄金の左腕で得意の下手投げを打つ。千秋楽結びの一番に土俵に上がる“輪湖”両横綱。決まって力相撲となり、立行司木村庄之助がしばしば水を入れた。

 輪島引退後には、鋭い立ち合いで前褌を引いて一気に攻める「鋼の肉体」千代の富士が台頭。のちに284㌔のハワイ出身力士・小錦との対戦は立ち合いの優劣で決着の大勢が着くことが多く、固唾を呑んだ。千代の富士と同時代には、寺尾や若島津、先代の霧島(いずれも鹿児島県)、益荒雄(福岡県)など九州出身の体の締った凛々しい力士が数多く活躍した。北海道出身の千代の富士は「ウルフ」、若島津は「南海の黒豹」と呼ばれ、両力士の全身全霊を尽くした力比べは美しく、場内は沸き上がった。

 1991年の夏場所初日、18歳の青年貴花田が35歳の大横綱・千代の富士を初顔合わせで破り、“若貴時代”の到来と、曙、武蔵丸などハワイ勢に加え、貴ノ浪や武双山、魁皇など強者ぞろいの時代を迎える。

 貴乃花引退間際に朝青龍が現れると、白鵬、日馬富士、鶴竜、照ノ富士らが横綱の地位を独占。モンゴル勢全盛時代を迎える。その間、稀勢の里が唯一日本人として横綱を張ったが、優勝と引き換えに強行出場したケガが響き短命に終わった。

 今年5月の夏場所、初土俵からわずか7場所目で小結・大の里が賜杯を抱いた。大の里の師匠・二所ノ関親方(元稀勢の里)も「まさかこんなに早く」と驚きを隠せない記録的なスピード出世だ。大の里は石川県・津幡町出身で、七尾市出身の輪島以来の横綱昇進へと、石川県民の夢も膨らむ。

 力士のしこ名は出身地の地名が付けられることが多い。現役では、湘南乃海(神奈川県)、美ノ海(沖縄県)、熱海富士(静岡県)、平戸海(長崎県)などわかりやすい。往年の力士では、安芸乃島(広島県)、青葉城(宮城県)、栃赤城(群馬県)、鷲羽山(岡山県)、三重ノ海(三重県)、外国人力士では把瑠都(エストニア)など。

 地元の力士が活躍すると、花火を上げたり、大型モニターが設置され、皆が応援する場面が映し出されたりする。

 近年は運動神経の優れた若者は、他の人気スポーツや格闘技界に分散し、相撲界への入門者が減少していた。単なる強さだけでなく、優しさと、存在の“美しさ”を備える力士は、「郷土の誇り」であり、日本全体の「大きな宝」である。

 大相撲はスポーツ興行の一面もあるが、伝統ある神事である。華やかな様式美や格式ある礼法が重んじられ、土俵上の力士の所作すべては神に捧げる意味が込められている。とりわけ横綱には強さだけではなく、品格が求められる。純白の綱を締めた横綱の土俵入りには邪気を払う力強さと神聖さを感じる。横綱が四股を踏めば、場内の観客も「よいしょー」と声を揃える。日本のこういう文化が好きだ。

(編集長・増田 剛)

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