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神社には物語がある ― 地域で旅人の「想い」を盛り上げる

2015年12月1日
編集部

 先日、テレビ関係者と雑談をしていると、11月中旬には来年の正月番組の撮影がすでに始まっていて、「もう何度もカメラの前で『明けましておめでとうございます』って叫んでいます」とのことだ。さすがテレビは早いと感じたが、実際あと1カ月で今年も終わる。本紙も並行して新年号に取り掛かる時期だ。

 新年といえば、日本では初詣が盛んである。多くの人はさまざまな“願い”を祈願しに神社に向う。私は福岡で育ったため高校受験の年に悪ガキ10人ばかりで、太宰府天満宮にお参りに行った。菅原道真公が「学問の神様」として祀られており、受験シーズンになると、太宰府天満宮に足を運ぶ学生が多い。ちなみに東京に上京し、現在会社のすぐ近くにも湯島天満宮があり、こちらも道真公が祀られている。どんな奇縁か、常に「学問の神様」から見張られているようで、怠け者にはツライ。

 さて、神社には、多種多様な御利益が掲げられている。「商売繁盛」「家内安全」「五穀豊穣」「開運」「厄除け」などさまざまだ。全国には「温泉神社」も数多くあり、地元の“温泉の神様”に感謝の気持ちを伝えに参拝する観光事業者も多いだろうと思う。

 また、「縁結び」の御利益がある神社も各地にたくさんある。島根県の出雲大社などは、全国から良縁を求める方々が訪れる“聖地”となっている。この「縁結び」の神様を“良い意味で”上手に利用されている地元観光関係者も見受けられる。

 「縁結び」といっても幅広い。若くて頭が悶々としていた時代、ものすごく不純な動機も込めて、神様に色々とお願いをした気がするが、あの時はさぞかし神様も呆れ返っただろう。

 実際に良縁に出会えるか出会えないか分からないが、多くの人が出雲大社に向かう心情はよく分かる。「ありきたりな、変化の乏しい毎日を変えたい!!」と決意するときに、荷物をまとめ、出雲に旅をする気持ちは共感できる。

 これはある種の自己儀式である。そのときに、受入側は神社だけでなく、地域ぐるみで、その人(旅人)の「縁結び」への意志や想いを盛り上げていくべきだと思うのである。

 「縁結び」に限ったことではない。切実な願いを人は幾つも抱えながら生きている。人生甘くはないことを、誰もが百も承知である。だからこそ、の神頼みである。家に帰るまで、いや願いが成就するまで、覚めさせない演出も大事だ。この味気ない現実世界を彩り豊かにするのは、不可視な「物語」の力しかないのであるから。

 人気観光地などを見ると、そこには大きな「物語」が存在している。その物語性のある場所に、自分を結びつけたいという思いが、旅をする衝動となる。

 現在ほぼすべての地域で地元の「物語」探しを行っている。しかし、劇的な物語はそう多くはない。物語は歴史と密接不可分であり、ドラマチックな物語には悲劇がつきものだ。現在も世界中で悲劇は進行中であるが、悲劇を直視するには時の洗礼を待たなければならない。一方、小説や映画の舞台となった地には優れた物語が存在するため、多くの人が魅きつけられる。日本にある多くの神社が掲げる“御利益”にも色々な物語がある。きっと、古い時代にドラマチックな物語があったはずだ。これを生かさない手はない。

(編集長・増田 剛)

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