「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(235)」 日本ワイン発祥の地(山梨県・峡東地域)
2024年8月10日(土) 配信
新宿から特急に乗り、山梨・勝沼ぶどう郷駅に到着する直前、長いトンネルに並行して、かつての旧深沢トンネルを利用したワインカーヴがある。煉瓦をまいた旧トンネル内をワインカーヴとして活用する「勝沼トンネルワインカーヴ」である。
その勝沼には、2003年、本紙にも長年エッセイを書かれた故望月照彦多摩大学名誉教授や、エッセイストの草柳文恵さんらと、委員会でご一緒した懐かしい思い出がある。委員会では、このトンネルをワインカーヴとして活用すること、そして「明治百年トンネル」と命名することなどを提案していた。
「勝沼トンネルワインカーヴ」は、その後、甲州ワインを支えたさまざまな遺産とともに08年の経済産業省近代化産業遺産群33にも認定された。
勝沼など、山梨県東部は「峡東地域」(甲州・山梨・笛吹)と呼ばれ、日本のワイン発祥の地である。この地域の葡萄の栽培は古く、奈良時代にまで遡るという。大僧正・行基の夢の中に、葡萄を手にした薬師如来が現れ、その姿を刻んだのが地元にある大善寺(通称ぶどう寺)の薬師如来像と言われている。行基はこの地に葡萄栽培を伝え、これが後に甲州ワインの原料となる甲州葡萄となった。
ワインの醸造が始まったのは、明治時代以降である。明治政府は米不足の緩和のため、日本酒消費量の削減と輸出産業創出を目指して、各地でワイン製造を奨励した。
江戸時代には既に食用葡萄の産地であった勝沼周辺では、真っ先にワイン製造が始まった。明治初年には山梨県に県立葡萄酒醸造所が完成し、さらに同年、官民の協力で大日本山梨葡萄酒会社も設立された。この会社では、1877(明治10)年、高野正誠と土屋龍憲の2人をフランスに留学させ、本場のワイン製造技術を学ばせた。この龍憲が、のちに煉瓦を用いて建設した半地下式のワイン貯蔵庫、通称「龍憲セラー」は、今でも地域のシンボルの一つになっている。
峡東地域は、葡萄はもとより、さまざまな果樹栽培でも有名である。地域を巡る広域農道・フルーツライン沿いは、その景観や食が満喫できる。2022(令和4)年には、「扇状地に適応した果樹農業システム」として世界農業遺産にも認定された。地域に60あると言われるワイナリーの中で、ルミエールワイナリーと原茂ワインを訪ねた。
ルミエールワイナリーには、1901(明治34)年に神谷伝兵衛氏の指導を受けた日本初の欧州型横蔵式地下発酵槽があり、見学させていただいた。
これら峡東地域のワイン施設や景観は、2018(平成30)年に日本遺産「葡萄畑が織りなす風景」にも認定された。
先人の知恵と工夫が凝縮した葡萄畑とワイナリーなど、長閑な風景が広がる峡東地域。是非、足を運んでいただきたい。
(観光未来プランナー 丁野 朗)