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〈旅行新聞8月1日号コラム〉――「佐渡島(さど)の金山」が世界文化遺産登録決定 衰退の反省を根底に新たな挑戦へ

2024年8月1日
編集部:増田 剛

2024年8月1日(木) 配信

 インド・ニューデリーで開催されたユネスコ(国連教育科学文化機構)の世界遺産委員会は7月27日に、「佐渡島(さど)の金山」の世界文化遺産登録を決定した。

 新潟県佐渡市(渡辺竜五市長)は審査期間中に、東京・新潟・佐渡の3会場でパブリックビューイングを実施。登録が決まると、関係者や市民が喜びを分かち合った。1997(平成9)年に、市民団体による世界遺産登録に向けた運動が始まってから、27年の年月を経ての〝悲願の達成〟となった。

 昨年12月16日には、国、新潟県、そして地元の島民が一体となって登録への取り組みを進めていこうと、島内で「佐渡島世界遺産登録・島民団結シンポジウム」が開催され、私は同シンポジウムの取材のため、現地に赴いた。

 20代のころ、太宰治の短編小説「佐渡」を読んで以来、佐渡島はずっと胸の中にあった。舞台は太宰が晩秋に訪れた佐渡島。作中で「死ぬほど淋しいところ」と何度も表現していたため、私の佐渡島への印象は、著しく小説に引っ張られていたのかもしれない。10年近く前の真夏、佐渡島を初めて仕事で訪れたとき、佐渡のイメージは一転した。青い日本海の波光がきらきらと眩しく、「風光明媚」という言葉以外に何も思いつかなかった。

 昨年冬に佐渡島への取材が決まったとき、私は内心、再訪をとても楽しみにしていた。太宰が佐渡を訪れた季節とほぼ重なるため、太宰が見た80年以上前の佐渡と、同じ自然の景色や、風の冷たさを感じられるのでは、との淡い期待もあった。

 訪れた3日間の初日は絵に描いたような陰鬱な冬の雨だった。2日目の夜には冬の嵐が襲い、強弱の無い激しい風が海辺の宿の窓を叩いた。アーモンドチョコとじゃがりこを買うために、宿から最短のコンビニまでの約1㌔の道は、暴風が吹き続け、魔王でも現れるかのような不気味な夜空を何度も見上げた。

 最終日は朝から雪が降り始め、瞬時に白銀の世界に変えた。両津港から新潟に向かうジェットフォイルは早々に欠航を決めており、最後の砦・カーフェリーは大揺れのなか、かろうじて出航。雑魚寝部屋で浅い夢を見ながらウトウトしていると、船は新潟港に着岸していた。

 この冬の取材旅では、私の中で大きく育っていた「冬の佐渡島」のイメージを微塵も裏切らなかった。それが嬉しかった。佐渡島には仕事で2回訪れたが、次は秋にのんびり二ツ亀の辺りをバイクで巡りたい。

 世界遺産登録の多くの地がそうだったように、佐渡島もこれからしばらくの間、大勢の観光客で賑わうだろう。そして、多くの観光専門家が指摘するように、一時的なオーバーツーリズムや、その後の観光客の急激な減少も、地元島民はある程度予想と覚悟をしているだろう。

 佐渡島の観光は、昭和50年代にブームを迎え、団体客や個人客が押し寄せたが、その後衰退に向かった。その反省を根底に、今回の世界遺産登録への挑戦によって、「新しい佐渡島」を創っていく意気込みを現地のさまざまな人から受けた。

 昨年末のシンポジウムで「100年先の子供たちに佐渡文化を継承していく」理念を佐渡市の渡辺市長は力強く語った。長期的な視点こそが地域づくりには欠かせないと、事あるごとに感じる。

(編集長・増田 剛)

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