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【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その40-室戸岬 御厨人窟(高知県室戸市) 視界は、まぶしい空と海 空海が修行した洞窟の景色

2024年8月11日(日) 配信

 空海の足跡を辿れば辿るほど、さらに知りたいと思う気持ちが増幅してくる。

 彼が空海と名乗るきっかけとなった場所が室戸岬にある。今回の旅は室戸岬に向かった。

 讃岐国に生を受けた幼名佐伯真魚は、14歳のときに平城京に出て、母方の叔父である阿刀大足に師事し、論語、孝経、史伝などを学んだ。これは高級官僚になるための勉強で、賢い真魚はこのまま学修を進めていけば、官僚になるのは間違いなかった。18歳で京の大学寮に入学した真魚は、寝食を惜しんで中国古典などを学んだが、もの足りなさを感じて、なんと大学を中退してしまう。仏道に入ることを決心し、山岳修行に身を投じた。

 真魚は地元四国の山々を巡って修行をした。その足取りは定かではないが、石鎚山や足摺岬とともにここ室戸岬にもゆかりの地が多く存在する。これらの場所を見てみて、四国の中でも敢えて厳しい環境を選んで修行をしたことがよくわかる。

 

 

 今回は、高知空港からレンタカーで室戸岬に向かったが、海沿いの道を走っていても、海からすぐ山になり、平地が限られている。今でこそ幹線道路が敷設されているが、奈良時代はまさにこの森の中を分け入って進んで行かなければならない。それだけでも過酷な修行であることは想像に難くない。

 空海はこの四国における求道の旅で、室戸岬に辿り着いた。空海の伝説は真偽がどうもはっきりしないものも多いが、この室戸岬での荒行に関しては、自著『三教指帰(さんごうしいき)』に、「勤念土州室戸崎、谷不惜響、明星来影」と自身の筆で明確に記されている。すなわち、土佐の室戸岬でお勤めをしていたときに、谷が響き渡り、明星がやってきた。伝説では口の中に明星が飛び込んできたとされている。そのような不思議な体験をしたのがこの室戸岬である。

 

空海修行の地、御厨人窟

 修行の地とされているのが、海水による浸食でできあがった2つの洞窟「御厨人窟(みくろど)」と「神明窟(しんめいくつ)」である。御厨人窟は住居、神明窟を修行の場として使われたのではないかとされている。この洞窟から見た景色が、空と海だったことから、空海と名付けたと言われている。地質学的には、空海の時代にはもう少し海面が洞窟に近いところまであったようなので、まさに現代よりも空と海とのコントラストがまぶしかったと想像する。

 室戸岬はごつごつとした岩が多く、太平洋の荒浪が容赦なくたたきつける。空海の生まれ育った波も風も穏やかな讃岐の国とは対照的である。

 御厨人窟から山に上っていくと、四国八十八カ所第24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)がある。境内には、鏡石という不思議な大石がある。この大石の窪みを別の小さい石で叩くと、鐘のような音が響き、その音は冥土まで届くといわれている。鏡石にある窪みは、長年にわたって多くの人に叩かれてできたものだと伝わっている。

 

叩くと不思議な音がする鏡石

 

 寺は山の上にあり、少し下ったところに室戸岬灯台がある。室戸岬灯台は、初点灯から100年以上も経過し、現存する鉄製の灯台としては日本で2番目に古く、レンズの大きさは日本最大級で、光の届く距離は日本一を誇るとのことである。ここから太平洋を一望することができる。黒潮の流れを受けて深い青色の太平洋に白い灯台が映える。

 室戸岬には、第24番から第26番まで距離を置かずに点在していて、室戸三山と呼ばれている。空海の室戸岬に対する格別の思い入れを感じることができる。

 室戸岬はキンメ漁も盛んで、地元の食堂では刺身、煮つけ、しゃぶしゃぶ、丼といったキンメの料理が楽しめる。キンメの形をしたマップが配布されていて、初めて行く人にもわかりやすい。

 

旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授。2019年「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。

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