「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(237)」 奇跡の温泉街の新たな挑戦(兵庫県豊岡市)
2024年10月5日(土) 配信
かつて「奇跡の温泉街」と呼ばれた兵庫県・城崎温泉。白樺派文人、志賀直哉の「城崎にて」はあまりにも有名である。舒明天皇629年、コウノトリが傷を癒したことから発見されたという開湯伝説が残り、江戸時代には「海内第一泉」として広く日本中に知れ渡った。
夜遅く、街にはカラコロという下駄の音が響きわたることが「奇跡」の理由の一つである。まち全体が一つの旅館、「駅は玄関、道路は廊下、旅館は客室、外湯は大浴場」というまちづくりの基本理念が生きている。7つの外湯(共同風呂)があり、各旅館の内湯はなるべく小さくして街に人を誘うといった共通ルールが、今でも生きている。
地域は1925(大正14)年の北但大震災(M7・0)で壊滅的な被害を受けたが、早稲田大学などの協力のもとに、新たな都市計画を策定、見事に復活を遂げた。
温泉離れの危機も経験した2004(平成16)年には、当時の西村肇町長(西村屋会長・合併前最後の町長)の呼び掛けで、まちの未来を担う若者たちを巻き込んで策定した「城崎このさき100年計画」は、この町が求めるべき長期のビジョンを描いた。計画はバインダーに閉じられ、時代ごとの変化を捉えて上書きできる。近く計画の見直しが予定されているという。
その城崎温泉を9月初旬に訪ねた。6日から始まった「豊岡芸術祭」で、温泉街はいつにも増して賑わっていた。
城崎町は、05年に旧豊岡市、竹野町、日高町、出石町、丹東町が合併し、現在は広域豊岡市の一画となった。中貝宗治前市長のもとで20年から始まった豊岡演劇祭は、新たなまちづくりのシンボルの1つになった。「小さな世界都市~Local&Global City~」という市の将来像のもと、「深さをもった演劇のまちづくり」がスタートした。従来型の観光から、「豊岡ローカル」への憧れや共感にもとづく大交流を促す装置としての「演」という手法である。
その拠点が、城崎温泉にある城崎国際アートセンター(KIAC)である。ホールと6つのスタジオ、22人宿泊可能なレジデンスやキッチンを備え、アーティストは最短3日から3カ月間滞在、ホールやスタジオを24時間無料で使用できる。
これらを担う若者の育成を目標に、21年には、芸術文化専門職大学(1学年80人)も設置された。全国から集う若者たちが、この演劇のまちづくりを学び支えている。
演劇のまちづくりは、広く豊岡市全域で展開されている。旧出石町にある近畿最古の芝居小屋「永楽館」、旧日高町の江原河畔劇場、世界ジオパークの代表的ジオサイトである玄武洞などもその「舞台」である。
演劇のまちづくりは、緒に就いたばかりである。城崎のこのさき100年計画と同じく、実験都市・豊岡の大きな柱になっていくことを期待したい。
(観光未来プランナー 丁野 朗)
城崎温泉は団体客用の大きな旅館が少なく食泊分離が進んでいるんですが、お昼をいただくお店はあるんですが夜食事をいただこうとすると17時ごろに閉店されるお店もありコンビニで済ますという観光客も出てきています。居酒屋さんや串焼き屋さんは開店時間も18時以降からとか遅いお店もあるので、もう少し観光客が利用しやすい時間などを考えララたらいいのではと感じています。以前は予約なしで利用できていた居酒屋さんも今は予約をして利用するようにしています。