「観光人文学への遡航(52)」 追悼 小野善一郎先生
2024年10月6日(日) 配信
明治以降の学校教育体系の変遷を辿っているが、今月はその連載を一旦休止し、追悼文を著したい。
渋川八幡宮の宮司、小野善一郎先生が2024年9月18日に帰幽された。小野先生は私にとってかけがえのない師匠である。人生の後半で出会って最も影響を受けた方と言っても過言ではない。小野先生との出会いがなければ、観光を人文学からアプローチすることは考えもつかなかった。
小野先生は、神道の教えが現在の我が国に浸透していないことを憂い、神道をわかりやすく理解する講演を精力的に展開された。
小野先生がとくに力を入れているのが「写詞」である。小野先生は、祝詞の中でも、毎年6月と12月の晦日に大祓が行われる際、神前で読み上げられる祝詞である「大祓詞(おおはらえのことば)」を選び、参詣者に写詞をする機会を提供した。
大祓詞は日本の国の成り立ちを大いなるスケールで示しており、大祓詞を奏上することで、国生みの神々がどのような想いでこの国を作ったのかということを現代に生きる我われも理解することができる。
この小野先生からの教えを通して、私はホスピタリティの新たなるフェーズを思いついた。
神道では、天つ神の「清らかな心」と一体となることを説く。天皇陛下も三種の神器を持つことで、天上界から降臨してきたその当時の神々の想いと一体となり、常に国民とともにあり、国民の平和と安寧を祈る。私たち国民も天皇陛下とともにあり、そして、ひいては天つ神とともにある。
さらに、神道は「一貫のいのち」ということを伝えている。すなわち、清らかな天つ神と自分が一体となって一つのいのちでつながっている。そうだとすれば、他人から評価してもらいたいとか認められたいなんて考えは、まったく必要ないことに気づく。その境地に至れば、相手を喜ばせたいとか、相手に感動を与えたいと考えるよりも、そもそも相手とも一体なのだから、もっと淡々としたものになるはずである。自分の心の中の芯の部分には天つ神と同じく異心のない清らかな心があるのだから、それを引き出すために、異心を祓っていくのである。
ホスピタリティでよく耳にする「利他」という言葉にずっと違和感を抱いていたが、この一体関係という概念を理解することで、その違和感の原因に気づいた。利他という言葉は、利がどちらにあるかということを考えている時点でもう利己的である。利他はアピールがつきものである。神と自分が一体関係であれば、アピールさえもする必要はない。人知れずとも正しい道を歩み、認められずとも淡々と生きていくことをよしとできなければ、まだ利己の心が残っている。
謹んで小野先生のご冥福をお祈り申し上げます。
神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏
1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。